文がバラバラ・・・という感じ

从・ゥ・从<バラバ? 腕がタイラントに使われたね
ああ、合体・・・じゃなくて暴君怪獣ね。




http://www.icenomi.com/oshimen/index.html


『BLACK ANGELS』の原作者として、ハロー界隈の若者にも知られるようになった平松伸二の『マーダーライセンス牙』に「手にかけた美女の死体からもっとも美しいパーツをピックアップして組み合わせる」悪役が出てきたことがあるけれど、そういうグロテスクさを感じてしまって、触る気にもなれない。Twitter上でも、ヲレのタイムラインはハロー右翼に偏っているせいか(一部なんちゃらZさんな人や某ドリングさんな人もいるw)、華麗にスルーされているのが現状。


だけど競馬クラスタの皆さんは楽しんでいる様子。予想なりゲーム上なりで「配合」を考える面白さに通じるものがあるんでしょうか。出来上がったものを披露して自分や相手の好む傾向を見つける作業は、POGのドラフト指名馬から「こいつは来年のクラシックをそう読んでいるのか」と探る楽しみと似通っているのかもしれない。POGはやったことありませんけど。


それとも。
一部のマニア以外の層が「アイドル」を楽しむ方法論というのはこういうものなのでしょうか。
だとしたらそんな「大衆」ってどうよ。


1986年に一人の女性が命を捨ててまで僕に示した、
「アイドルって、人間なんですよ」
というテーゼだけは死守したい、この心情をひそかに掬い上げてくれるパフォーマーと付き合っていきたい。テーゼを背負っていない方々が何をしようとかまいませんけれど。



良し悪しや好き嫌いはさておき、こういう形や先日のああいう形で、知らない人にも食いつける話題を提供し、ラフにカジュアルに楽しんでもらうというのは、少なくともハローにはないよなぁ、現実として。そもそもこういう堅っ苦しい長文も、傍から見れば楽しそうじゃないはず。書いてる本人は心から楽しんでおりますが。鈴木愛理が「一音入魂」ならヲレ様は「一文入魂」で冗談を書くのよ。ってこういう文言も重たいなぁ。うざくてすいません。


パフォーマンス尊重主義の持つストイックさというのは、一歩間違えれば重苦しい。
それ以前に。
好きじゃない人にとって、芸とかパフォーマンスってどうでもいいこと、といって悪ければ優先度の低い事項なんですよね。休憩時間、酒席、ネット、・・・そういう場での雑談の種になってくれれば、それ以上のことは求めない。
そういう方向で人口に膾炙していき、良くも悪くも「人気者」になっていく。仮にそれがアイドルの本筋であるならば(否定はできない)、パフォーマンスの向上のため日々精進するなんてのは筋違いであり間抜けな話。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ーーーーーーーーッでありますのよ。



さて、どうしましょう?



今の方向性を変える必要はまったくないでしょう。今いるファンはそこに賛同する人も多いわけだから、うかつに日和って方向転換しちゃったら、そういう層が離れてしまう。減った分よりはるかに多くの新しい顧客を獲得できればいいけれど、大衆が興味を持っていないし、送り手も「大衆の興味を惹く」ことに興味がないようなので、それは無理でしょう。


ただ、闇雲に大衆を切り捨ててしまうのでもなく、常に扉は開けておいてほしいもの。「野に遺賢あり」じゃないけれど、幸せな出会いの可能性は残しておいてほしい。
何かの拍子に扉から中を覗いた人に、サンプルを渡せるといいね。せっかくYoutubeに公式チャンネルがあるのだから、MVや生配信、メッセージや愛理のハイテンションモノマネ動画もいいのだけど、モーニングさんのところにあるようなライブ映像がもっとあると役立ちそうな気がする。過去のライブのダイジェスト版を作って置いておけると最高だなぁ、その分の経費がどこかでペイできるかどうかだね。
予算というのはとても大きな問題。文句をつける時が最高に元気なヲタクというものは何かにつけ注文をするけれど、受け手にしてみれば、
「御説ごもっとも。しかしそれには予算が足りません。皆さんもっとCDやDVDやグッズにお金を使ってください。あるいはスポンサーを連れてきてください」
といいたい局面もあるんじゃなかろうか。それはきっといっちゃいけないことだし、いわないでいるプライドをごくわずかだけリスペクトする。


大衆路線から完全に離れてしまうと、作家性だけで受け手は置いてきぼり・・・なんてことはよくある話。アングラとか前衛も楽しいけどさ、芸能とかエンターテインメントってそういうものじゃないでしょ。
よって大衆を横目でチラチラ見ておきながら、好事家、見巧者と呼ばれる人々の審美眼にかなうものをこれまでと変わらず出して、誰もが気軽に見られる場所に置いておく。こうありたいね。
これはヲレのオリジナルな考えでもなければ、今の時代になって出てきたものでもない。


 かつてそこにあったもの、それ自体がオリジナルとしての存在意義を持っていたもののレプリカとしてしか、アイドルは存在を許されない時代になりつつあるのだ。
 実用品としての役割を終えたアイドルが、マニアのためのアンティークアイテムとなりつつあるのも、やむを得ないことなのかもしれない。
 しかし、いや、だからこそ。
 個々のアイドルの、完成度というものはよけいに重要になってくる。
 実用品ではないから、趣味のための商品だから、間に合わせ的なものや、チャチなものでは生き残れない。本当にシビアな審美眼に耐えうるものだけが、生き残っていくのだ。
 だが、それもまた、アイドルという存在が本来持っている、本質なのではないだろうか?

林明美『耳からアイドル』[青心社1992]P175-176)

耳からアイドル

耳からアイドル

初出は1990年の『投稿写真』2月号(未確認)、CoCoについての文章。
大衆性から離れたアイドルの進むべき道の一つを示した画期的な提言だったわけだけど、実際のアイドル・ビジネス界がどうであったかといえば、現在も続く「マニア/常連客に媚びた商売」が勢いを増し、理想が実現することはなかった。
今ならその理由がわかる。つまるところ、アイドルマニアは「かわいいは正義」でしかなくて、作品を正しくジャッジする方向の審美眼、定見といったものは持ち合わせていなかったのだ(木亥火暴)。ヲレモナー。


だが時代は巡り、今や「アイドルはハローが初」という、ヲレみたいなアイドルジャンキーにいわせれば、
(オ゚Д゚)<じゃあ今まで何して生きてたの!?
みたいな人が目立つ。彼らは真っ当な社会人として過ごし広い見聞と人脈を持っていたり、何らかの表現分野の経験者、現役のプレイヤーまでいたりする。
その分悪馴染みしてしまって、腐れマニアの真似しなくていいところから先に真似してしまうようなところもあるのだけれど(苦笑)、審美眼という点において信頼のおける部分は大きい。
したがって、今こそ上に挙げた提言に注目したいわけですよ。
しかもハローの場合、「アイドル=商品」という古い定義を外れ、パフォーマンスを商品として開発提供する技術者の薫りまでその身にまとう。技術者には遠慮なく完成度を問える。まぁ、たまにバグがあっても生温かい目で見てあげたいけど(笑)。


確かな眼、感性を持ったオーディエンスと、それに耐える商品を提供できるパフォーマー。その二つが揃う、いやすでに揃っているかもしれないのだから、これを生かさない手はないよね。


上のCoCoの話は、引用部分の前に「乙女塾おニャン子クラブの二番煎じと見せかけて、実は裏返しである」という意味合いの評論がある。
おニャン子と制服向上委員会の悪いとこ取りのような団体(と、ヲレには見えるのよごめんなさいね)が巨大な安定勢力、権威として存在し、その周りを「80年代よかったよねーバブル楽しかったねー」みたいな痛々しいノスタルジア(と、ヲレには見えるのよごめんなさいね)が飛び回る時代に、それらへのカウンター、一発ウラガエシ(笑)というものは間違いなく必要。そうでないと文化というものは味わいが薄くなるからね。
その任がハローに与えられるなら、ヲレはことのほか嬉しいね。
ただ、わざわざ「アンティークでございますよ」と変な開き直りをやることはない。カメラに入門機〜中級機〜高級機(プロユース)、PCにネットブックから3Dゲーミングマシンまであるように、時代と適当に絡みながら独自色を鮮明に打ち出していけば、狙いに合うユーザーというのはやってくるもの。ヲレも振り落とされないようにしないとな。


いつか競馬クラスタにもハローを楽しんでほしい。彼らは「気配」「脚色」「気合」「折り合い」、・・・といった数値化にそぐわないものと日常的に接し、そこから命あるものが発する波長、波動のようなものを感じる能力が鍛えられている人々だと思うし、彼らがターフに見ているものとヲレたちがステージに見ているものってどこか共通してるとも思えるのよ。でなければハニパイホールディングス競馬部があんなに賑わうはずがない(笑)。


そんなことを願いながらこっそりと宣伝ツイートをする今日この頃(笑)。こちらの興行とJRAの開催が多くの場合バッティングするだけに、ライブに来てもらったり、逆に来場あるいは番組ゲスト*1だったりというのは難しいと思うけど。Youtubeを強化してほしいのはそういうこともある。競馬クラスタの耳目を惹きつけるようなものが提供できたら、また新しい扉が開くんじゃないかな。

*1:今できるとしたらゴロッキと真野ちゃんくらい?