史上最幸のアイドル(後編)
祭りのあと。客席や関係者席にいた人々が、それぞれの言葉で、それぞれの思いを語った。
なかでも・・・やはりこの人にご登場願うしかないだろう。
完°C-uteラストライブ さいたまスーパーアリーナ(つんく♂ Official Blog「つんブロ♂芸能コース」
ということで、
また迷う日もあるやろうけど、自分の人生なんで
後悔ない楽しい人生を送ってください。君らならきっと大丈夫!
でも何かに困ったらたくさんある曲を聞き直してください。
きっと何か見つかるはず。
それでも困ったら遠慮せずいつでも連絡ください。
いつでもあの時と変わらない出来る限りの応援してるからね!
困ったら曲を聞け。
震えた。
お前たちが歌った歌には、俺は気持ちを込めていたんやで。
そんな自負、矜持。
込めた気持ちとは何だろう。
いつでもあの時と変わらない出来る限りの応援してるからね!
応援。
頑張れや。お前たちはできる。お前たちならやれる。自信持って、元気出していこ。
そんな気持ちを、つんく兄さんはいつも持っていた。そういう気持ちで、曲を、詞を生み出してきた。
だから。
つんく兄さんの作る楽曲には心があり、血が流れている。その曲に、演者が肉体と声を与え、自分たちの心も乗せる。
かくして、数多くの、人生の応援歌が生まれた。
それが℃-uteであり、Hello!Projectであったのだろう。
僕らは、℃-uteを応援しながら、℃-uteから応援されていた。
その心のこもった、血の通った、肉体で表現されるメッセージが、℃-uteのパフォーマンス、その魅力の根源だ。
从・ゥ・从ノソ*^ o゚)州´・ v ・)リ ・一・リ(o・v・)<人生いいことばかりじゃないけど
从・ゥ・从ノソ*^ o゚)州´・ v ・)リ ・一・リ(o・v・)<お前も頑張れよ!
そんなメッセージを、僕らはいつも℃-uteから受け取っていたんだ。
℃-uteとは何か。
応援する心。
人を思いやる気持ち、まごころ。
誠実さ。あたたかさ。
応援するということは、あなたの味方だよ、というメッセージでもある。
思えばそれは、1978年に初めての現場体験をしてから、1986年にひそかに好きだったアイドル*1が亡くなってから、彼女が拒絶したセカイに自分も含まれていると直感してしまってから、僕がアイドルに求めつづけていた、でももしかしたらアイドルにそれを求めても叶うことはない、そもそも求めることじたいが間違いだったかもしれないもの。だってアイドルは職業であり、ビジネスだもの。アイドルと客、メーカーとコンシューマーがグラウンドの同じサイド、リングの同じコーナーに立つことは、そうそうあるものじゃない。
大いなる欠落、そして不満。
これこそが、僕がアイドルを追い続けた最大の理由だったのかもしれない。
満たされない思いがあればあるほど、
「どうして俺の気持ちに応えてくれないんだ」
「どうして思い通りになってくれないんだ」
そんな風に不満が募る。積み重なれば積み重なるほど、それは対象への執着になる。
悪いことばかりじゃない。「会えない時間が 愛育てるのさ」と郷ひろみが「よろしく哀愁」で歌ったように(作詞:安井かずみ)、会いたいのに会えないという「思い通りにならない」状況が心の燃料になることはある。
だが、それも程度問題。
これをこじらせていくと、意識の上では「俺の思いに応えてほしい」と本気で願いつつ、無意識では応えないことを望むようになる。失敗せよ、不満を持て、と常に自分に呪いをかけることになる。こうして不満はどんどん溜まり、執着はどんどん強くなり、泥沼から抜け出せなくなる。
これでは誰も幸せになれない。願いを持ちつつそれが叶わないことを無意識に望む客も、屈折した思いをぶつけられるアイドルちゃんも不幸だ。
この泥沼のループから、僕らは抜け出さなければいけない。
それなのに、客の切なる思いと渦巻く不満を掌で転がして、商売につなげてるところもあるから暗澹たる気持ちになる。
そんなのは、人を病気にする。一方で思いを遂げることを本気で願いながら、もう一方でそれが実現しないように呪いをかける。一人の人間の心の中でそんな正反対のことを続けていたら、壊れないはずがない。
僕自身がそうだ。自分に対して無意識に呪いをかけていたから、なかなか人生が思うようにいかず、病気になったのだ、きっと。
僕のような病人を増やして何になるというのか。商売になる、ですかそうですか。きっと適当なところで店をたたんで、後は死屍累々ですね。
血が通っていないような、人間の体温や息吹を感じさせない楽曲。そういうのない? 俺はあるように感じるんだよ。なんていうか、机上の計算で、パターンにハメ込んで作ってるような、あるいは心の中から生まれたものじゃなく、頭で考えて作ったような。そういう風に感じられるものは好きになれないんだ。
観客/聴衆の求めるものをリサーチすることも大事だと思うし、彼らを感動に導くロジックの積み重ねってものがあるのは否定しないけど、血と体温のあるものに理屈を超えたシンパシーを抱くのは当然ってものじゃない? 俺たちは生きているんだ。人間なんだよ。そしてアイドルだって人間だ。
やり切った5人の達成感、満足感が伝わってきて、僕も心の底から満足した。
極上の満足。生まれて初めて味わった。
まさしく満ちた。満たされた。そして足りた。足りないものは、何一つなかった。
僕にとってアイドルとは何か、アイドルに何を求めてきたのか、という問いに対して、僕自身も知らなかった見事な解を出したのが、℃-uteであり、つんく兄さんなんだな。
解が示された、それもこの上ない形で。
僕にとって大いなる謎、なぜこんなにも魅かれるのかわからない、だからこそ強烈に魅かれてきた「アイドル」は、℃-uteとつんく兄さんによって解体された。
ならば、もうアイドルに固執することはない。これ以上新しいアイドルを求めなくても大丈夫、生きていける。
僕はもう失敗しなくていいんだ、きっと。
いや。
僕は、成功したい。成功するんだ、これからは。
2017年6月12日。
なんだか本当に、自分の中で、アイドルにしがみついていた日々に、一つの区切りが打たれたな。
「最後の魔法は魔法を解く魔法」
出典は忘れた。
5人が僕に笑顔でかけた最後の魔法は、僕の心にあったアイドルへの執着を解き、自分で自分にかけた呪いまでも解いてくれた。そう思える。
从・ゥ・从ノソ*^ o゚)州´・ v ・)リ ・一・リ(o・v・)<完全に満足した!
从・ゥ・从ノソ*^ o゚)州´・ v ・)リ ・一・リ(o・v・)<ここからは自由に生きようぜ!
最後の魔法をかけてくれた、最後のアイドルが℃-uteで本当によかった。
もしもこの世に楽しいことしかなかったら、笑顔なんて何の価値もないのかもしれない。
(西澤千央『(2ページ目)【DeNA】藤岡好明はベイスターズの「サムライソウル」だから』文春オンライン、2017/05/28)
アイドルちゃんの笑顔が尊いのは、俺たちの日常が苦しみに満ちているからかもしれないね。楽しいことって少ないもんなぁ。
学校がつまんない、仕事がつらい、周囲の人とうまくいかない、・・・そんな日々に輝く笑顔で光をもたらし、上機嫌という贈りものを配ってくれるのがアイドルちゃんなんだな。
俺たちはもらった笑顔を、上機嫌を大切にしているだろうか。
差し出されていることに気がついているだろうか。
笑顔で楽しそうにしていること、それを伝えられて楽しく過ごす時間をもらえていることを、当然のことだと思っていないだろうか。
仕事だから当たり前? いやいや、コンサート一回を2時間として、2時間笑顔で仕事できるヤツが、俺たちのなかで何人いる? 笑顔でいることが仕事だからって、簡単にできるものじゃないだろう。俺たちの仕事がそれぞれに大変なのと同じだよ。
そこで、だ。
もうちょっとだけ上機嫌になる、多少無理してでも上機嫌を装ってみる。そういうことが出来たら最高にクールじゃないか、そんなことを考える。
自分が笑顔を贈った相手から笑顔が返ってきたら、どんなに嬉しいだろう。たまにはアイドルちゃんに楽しませてもらうだけじゃなくて、アイドルちゃんに楽しくなってもらうのもいいじゃない。どれだけモチベーションが高まるだろう。逆に考えると、僕らが不機嫌な顔ばかり見せていたら、若い女のコの心なんて簡単に折れちまうんじゃないか?
自分の笑顔を「仕事だから」「こっちはカネ払ってるんだから」当たり前とされ、返ってくるものといったらダメ出しや胸とか尻が大きい小さい、脚が細いの太いの、誰と誰の仲がいい/悪い、太っただの髪型似合わないだの、・・・そんないいたい放題ばかりだったら、
「自分の笑顔には価値がないのか、ワタシの仕事は認めてもらえないのか、それはワタシに価値がないということじゃないか」
そんな考えに囚われてもおかしくない。そういうことが重なって、迷い、悩んで、揺れた末に夢への挑戦を続けられなくなったコが何人いるだろう。
まず伝えるべきは、一つの楽曲、現場、メディア露出、パフォーマンスを如何に、どれだけ楽しんだかであって、他のことはそれを存分に、もうこれ以上は無理ってくらいに伝えきってからでも遅くはないじゃないかなぁ。
スタッフ側に対しても、仮借なく問題点を指摘することで各々の意識を高め、サービスや各種企画の質的向上を期待する・・・という考え方があると思う。
断言しちゃうけど、それは根拠のない信仰にすぎない。
だってよ、実際にユーザーの声で何かの問題が劇的に(でなくてもいいけど)、ユーザーのせめて過半数が歓迎できる、最低限納得だけはできる程度に改善されたことが、どれだけあるっていうのさ。俺の経験では皆無だよ。
逆に、ユーザーがスタッフの仕事に対して理解もしなけりゃ評価もせずに、ただそれぞれに好き勝手な文句を並べたてることで、その声を受けた方がかえって混乱してしまい、是非はともかくとして、「あーもうめんどくさーい」とヤケクソになったり、「ワガママに付き合ってらんないし、もうとにかくヤツらの財布の中身をできるだけ吐き出させることだけ考えよう」と一種の開き直りに至ったような送り手はいると思う。誰もが一つや二つの例は心当たりがあるんじゃないかな。
ダメ出しをして向上を望む、それを続けるというのは、いってみれば過剰な消費者意識、お客様意識であって、「俺様の要求に対し無制限に対応しつづけろ」と迫っているにすぎない。
客から搾れるだけ搾り取って何が悪い、ヤツらは「いくらつぎ込んだか」で自分の思いの強さを測るんだ、と開き直った(≒居直った)ら、これは強い。目的が定まれば迷いがない。
では、客の財布からできるだけ多くカネを吐き出させるために、有効なアプローチは何か。
欲望を刺激すること。劣情を催させること。欲情させること。
常に刺激を求めろ。慣れろ。飽きろ。満足するな。
そんな呪文が聞こえてこないだろうか。
呪いに満ちたセカイにいつの間にか安住し、「大人の事情」の一言で呪いを呪いと感じることすら忘れた僕を解放したのが、完全に満たされた℃-uteの、幸せいっぱいの笑顔だ。
これもまた驚くべきことだと思う。常にある程度の不満を客に抱かせることを商売の常道にしてきた業界から、完全に満たされ、客を満たして帰した者が現れた。
最後の公演ということでようやく可能になった(のかもしれない)、持続されないという意味でとても小さな、でもとても大きな意味を持った革命的事件。
これは語り継がれてほしい。俺も生きてる間は頑張るから、死んだ後は頼むぞ皆の衆。目標は2055年6月に結成50周年イベントな。
アイドルちゃんのことに限った話ではなく、他にも、たとえばネット上。掲示板やSNSで議論という名の罵りあい、一般論を装ってまるで一般的でない勝手な主張、客観的と強弁した主観、・・・そういうものの垂れ流しを少し抑えられたらなぁ・・・と思う。
一日に一回でもいい、無理にでも上機嫌な発言をしたら、もしかして気分がよくなるかもしれないし、その発言に出くわした誰かが気持ちよくなるかもしれない。そういう送り渡しが、巡り巡って、誰かから嬉しい言葉をもらえるかもしれない。
「病は気から」じゃないけど、はじめは無理にでも気持ちを高めていくことで、今より少しだけ楽しい毎日が送れるんじゃないか。そんな気がする。
きっと、僕らの誰もが「ほめられ伸び子」なんだと思うよ。増長する困ったちゃんもいるけれど、そういう輩には無視と沈黙で応じればいい。
それって俺が発言しなきゃいけないことかな、ということを考えるようになって、自分の問題とそうでないものを切り分けるようにしたら、うかつなことはいえないし、発言に責任を感じるようになった。俺が発言するしかない、俺でなきゃできない、と感じたことについてだけ発言するようにしてみると、何というか、気合入るよね。
そんでもって、これは俺が発言しなくてもよかろうと思えたことについては、いい意味で無責任でいられるようになって、けっこう楽になった気がする。
今のところの自分のキャパシティだと、ここいらへんが目一杯かな。
あの日感じた「しあわせ」を日常に還元して、時々誰かに回していく、そういう風になれたらいいね。
それが、これから℃-uteに贈れる最高のプレゼントじゃないかと思うのよ。
*1:別のアイドルのファンだった俺は、DDという概念が発明されていなかった昔でいう「隠れファン」で、現場に行くことはなかった。それを激しく後悔して、後年「生で見たいアイドルはとりあえず見る」ようになった。