ファースト
初めにいっとくとガンダムの話じゃないです。流れで出ちゃうかもしれないけど。
主に客席内での振る舞いに対して、折に触れて意見交換が活発に行われております。
最近旬なのはオーイングですかね。℃-uteコンで目立つのはまっさらでしょうか。「何気〜に着崩して〜♪」のくだり。ちなみに僕は振り付けに合わせて、
(オ゚Д゚)<エンヤーコーラヤ ドッコイジャンジャンコーラヤ♪
と、周りに聞こえない程度の音量で*1ドリフしてるので、あまり他人様をとやかくいえた義理でもございませんが。
伝え聞くところによると、アレの成り立ちというのはどこかの地下系の現場で、
「歌ってんのが誰か知らないけど、とりあえず声出して騒げりゃいいからやっとけやっとけ」
みたいなノリから始まり、転じて「アナタが何者かは存じません」という表現でもあったりなかったりするそうな。
真偽のほどはわかりませんけど、「応援する姿勢ではない」という意味ではアンチ行動の一種と捉えられて文句はいえないところでしょう。
ところがこれが℃-ute現場になりますと、メンバーは単純に喜んでいる様子なのですよね。
もちろん詳細を知らないということもあるでしょうが、何よりも、
「演者を応援する気持ちのない者が、わざわざお金を払って客席に陣取っている」
という歪んだ事態がこの世に存在するというのは認識の外にあるのでしょう。大衆演劇とか、あるいは江戸時代の芝居小屋なんてのは暇つぶしだったり芝居小屋で一日過ごすこと自体が大きな目的だったりもする、したらしいですけどね。
客席にいる者はすべからく自分たちを応援してくれる者、味方である。したがって客席から聞こえてくる声は自分たちへの声援である。
これを信じきる。徹底した性善説。
したがって、成立過程とは関係なく、℃-ute現場においてアンチ行動というのは存在しなくなるわけです。アンチのつもりで始めたことも、応援と信じられることによってそのように変化していく。
少なからず悪意に見舞われてきただろうことは想像に難くないのだけど、それでもなお人の心の善なることを信じる。この姿勢は圧倒的に美しく、そんな℃-uteこそが善なるものであるに違いないという確信も得ることができる。
悪意が悪意として存在し続けられない。℃-uteの持つ大きな善意が、自分たちを応援してくれているに違いない人々を大きな愛でもてなすことで、一部の卑小な悪意を凌駕し会場の空気を変えていく。
僕らは信じられている。
さて、それではどのように振る舞いましょうか?
あれ実は応援してないんだよね、とまるでレディーファーストの起源についての一説を披露するかのように教えて差し上げるのも一つの優しさだろうけど、それって下手をしたら彼女たちのモチベーションを下げてしまうよね。それでは逆効果だし、正しいこと(成り立ち)にこだわるあまり別の正しさ(応援と解釈しているメンバー)を無視するのも、なんだか原理原則主義の間違った使われ方のようにも思える。
したがって、現状オーイングに対しては「自分は嫌いだからやらないし事あるごとに反対の意思を表明する」という抵抗をやりたい人がやっていく、という形をとらざるを得ないかなー、という気持ち。やってる方だって強制されてるわけじゃなくやりたい人がやってるわけだから、態度としてはフェアなものに近いんじゃないか、と勝手に自画自賛。
ヲレ自身は・・・やらないなぁ。特にめぐ恋に最近入りはじめたオーイングはどうにも美しくない。アレのおかげで逆にメリハリがなくなったような気がするよ。声出してないといたたまれない人がいるのかなぁ。
さて、命題を繰り返す。
「応援してくれている」と信じられている僕らは、どのように振る舞うべきなのか。
別にアイドルはお前らだけじゃねーし、と斜に構え、したがいまして汎用的なリアクションで対応させていただきますよ、てなスタイルってのも、そこそこ伝統的にある。
実際先日のC.C.Lemonにもいらっしゃいましたけど、会場が一つになって手拍子したりジャンプしたりする中、ひとり懸命にヲタ芸。あー君のアイデンティティはそこなんだねー、今ツアーのヲレのアイデンティティはエアギターだからすごくよくわかるよー、と認めはするけど*2、それでもある程度以上にみっともないというか安っぽいというか、そういう光景に感じたのも事実。価値観の問題というのはなかなかに修正が困難でしてね(苦笑)。
論理矛盾かもしれないけど、おかしなことをやるのであればそれだけ自分を律していかなければいけないと思う。羽目を外すのは楽しいけど、外しきっちゃったら他人の迷惑だし、回りまわって退場やら出禁やら、自分で自分の首を絞めることになる。
個人的には、
「他人の自由を侵害する自由は何人たりとも許されない」
というテーゼに出会って楽になりましたね。周りをザッと見回して、この人たちの自由を侵害しなければいいのねと。使ってないスペースはもったいないので使わせていただいておりますが(笑)。
繰り返す。
「応援してくれている」と信じられている僕らは、どのように振る舞うべきなのか。
何をやったかで人間の値打ちは決まる。
(ブライト・ノア)
という説と似ていますが(結局1stガンダムネタが入る 苦笑)、リアル紳士たちの間では、
男の価値はどれだけ女性を輝かせるかで決まる
という定説(もしかしたらメンタリティ)があるとかないとか。
なぜヲタクはモテないか、という永遠の命題への回答に一つの道筋を見出すものでもあると思うんですよ。
実際のところは小児性愛者でも死体画像収集が趣味だろうとモテる奴はモテるのよ。「この人の隣にいれば今以上の自分になれる」と思えればさ。女のコってのは常に自分を高めたいっていうぜ。
とにかくヲレが楽しきゃそれでいい、お前らヲレを楽しませて無限に奉仕せよ、なんて態度で生きてるような徹底的に利己的な奴が女性を輝かせることなんかできるわけがないわけで、そりゃあ見る目の厳しい女性たちの心をつかむことなんて不可能だろうよ。だからヲレはかなり諦めの境地に入ったぜ(苦笑)。老後のことを考えるなら結婚はしておけ、という打算も理解するけどね。
話がズレたんで確認。
「応援してくれている」と信じられている僕らは、どのように振る舞うべきなのか。
人間ってのはおかしなもので、健全な心のある者は信用されると裏切れないものみたい。
「応援してくれている」と信じられている僕らは、どのように振る舞うべきなのか。
応援すりゃあいいんじゃないですかね。
ステージにいる連中を一人残らず輝かせて、心の底からの笑顔を引っ張り出すために。
ヲレのコレは応援なのか、演者を輝かせることができるのか。
それだけ考えていけば、自ずと自らを律する気持ちってのは醸成されていくものだと思います。少なくとも僕が生きてきた社会・文化・文明、あるいは教育というものはそういうものでした。これからもそうであると信じたい。
おまけに、ヲレは自分が安く見られることが我慢できない性分でしてね。
何を第一に考えるべきなのか。リアル社会や人生の問題じゃあるまいし、少なくとも客席だけはそういう部分でも一つになっていいんじゃないかなぁ。
むかーし昔のオタクの定義に「takeするばかりでgiveしない人」というのがあったそうだけど、そういうのはイヤだねぇ。
熱気で攻めてくるなら熱気で対抗したい。元気を差し出してくるならこちらも出していきたい。優しさを分けてくれるなら少しくらいは返したい。
いい仕事をしてくれてるんだから、いい客になりたいね。カモという意味じゃなしにさ。