咆哮on智

从;・ゥ・从<どんなわけだ!?
そんなわけで(入れ替えてみました)、今日が正式な発売日。

続々と届いていたりいなかったりで、盛り上がってますねぇ。


以下、閲覧を強制するものではありませんが、もし閲覧されるのであればDVDを多少見てからがよろしいかと。



スタートして最初の印象が、


客席音声でかっ!


おかげさまで、DJさんとかMCさんとかのコーナーあたりで、

まいまいかわいいよ、まいまーい!

なんてのもハッキリ聞こえてくるという副産物(笑)。ま、声はヲレたちの武器だからな。
从;・ゥ・从ノ<ボイスラッガーか!

(オ゚Д゚)<シュババババーーーーーーン!!!!!!!


・・・という冗談はさておき、一体感というか、ステージと客席の相乗効果で大きな盛り上がりを呼ぶという℃-ute現場の楽しさがよく顕れていると思います。
僕らは℃-uteのライブに欠かせない背景、5つの美しい花を飾る器として認められはじめる入り口の扉が見えるか見えないかのところまで来ているのかもしれない。来てないかもしれないけど。
これからも気を抜かずにいきたいものです。



武器の使い方も考えなくてはいけなくなるね。
そうなると、目下のところ我々が取り扱いに苦慮しているのがアレだ。


まぁ何つーか美しさに欠けるものだという個人的評価は変わらないけれど、あれだけメンバーが喜んでいる様子を知ってしまえば、頑なに拒絶したり、発祥元の文化やら本来の用法やらにこだわっていったりというのも、これはもう勝負の流れとして分が悪い。何が勝つかはわからなくても流れくらいは読めると自負しております(苦笑)。
自分がやる・やらないは別として、考えを改めなければならないところに来ているのかもしれない。
少なくとも、ヲレはもう「そもそもアレは地下で生まれて、一種のアンチ技というか客の増長で浸透していった部分もあってだね・・・」という話をする気はないなぁ。お前それメンバーに言える? ということです。
知らなくてもいいものなんだから、知らないままで済ませちゃわないかい?
客の事情とメンバーの気持ち、優先するものを間違えちゃあいけないよね。


答えはすべて℃-uteが持っている。
それでいいんじゃないでしょうか。


メンバーがアレを応援コールと解釈するなら、というか、どうも細かい事情を知らない観客は純粋に応援プレイとして楽しんでいるようでもあるし*1、「℃-ute現場においては、アレは純粋な応援コールである」ということにするのも逆に面白いんじゃないかと。


はばかりながら、開発元に気を遣う必要が多少はあるかもしれないとはいえ、こちらがヨソ様の意味合いに合わせる必要がどこかにあるのでしょうか。仮にも同じ業界で頑張ってる人々を「地下」と蔑んで尊大になるならば、その文化における用法に従うってのには釈然としないものがあるなぁ。
ハロプロは地下にあらず、というプライドがあるならば、
(オ゚Д゚)<地下ごときの用法など知ったことか 悪いがこちらの色を塗らせてもらう
(オ゚Д゚)<ヲレたちは応援する意図を捨てずにコレを使う
(オ゚Д゚)<そういう意思があることを示していくのだよ
という方法論だってあるんじゃないかな。


正面から対抗したり「アレはよろしくない」と主張したりしていくのも必要かもしれないけれど、
「誰だか知らないけれどとりあえず声出しとけばいいだろ」→「うわなんか盛り上がってると勘違いしてるよバカなおねーちゃん(たち)だねぇww」
というものを、「一緒に盛り上がって心から楽しんでいく」ものに変えてしまう。そうやってアンチ技なんてバカバカしいものを減らしていく*2
斜に構えた歪んだ心は、もう二度と、間違ってもステージに届かせない。僕らの気持ちと応援の声でインターセプトする。それは、過去に何度も悪意から守りきれずに℃-uteを潰しかけた僕らが果たさなければならない役割。といって何かおかしいかな?



心という五感で感じられないもので差別化を図るのは難しいけれど、ヲレたちだったらその程度のことはできるはず。
だって、ヲレたちは℃-uteファンじゃまいか。



(追記)
何よりも、すでに用法が変化しているのであるなら、出自にこだわり続けることによって「俺たちが応援に使うコールをアンチ呼ばわりしてる奴がいる」という逆転現象を引き起こすだろうし、ヲレたちが「アレはアンチがやるものなのですよ」と広めることにもなりかねない。そんなバカバカしい話もないもんだ。
(追記終わり)



しかたなく使いましたけど、「地下」という表現は、「うちら地下ですから」と謙遜で使うのなら微笑ましいのですが、「うちらメジャーでキミら地下」というニュアンスで使うのは嫌いですね。何かと他者を下に見たい風潮で一気に広まってしまいましたけど、ヲレの美意識からは外れるなぁ。

B級
という優しい表現が僕は好きです。


州´・ v ・)<ロードショーも名画も B級も〜♪
州´・ v ・)<迷子なのに頑固な 青春の教科書〜♪

(愛理が円谷優子歌ったら泣く自信ある。キー合わないかもしれないけど、愛理で『希望』を聴きたいというのがヲレの夢)


個人的に今の業界はハローも含めて「B級がA級のように振る舞っている。その無理な背伸びが諸悪の根源かもしれない」とも思えるのよね。もっと「B」であること、どこかにある「A級」へのカウンターであることにプライドを持ちたい。
そのこだわりでいうと、B級同士で食いつぶしあうのは本当に愚かだと思うわ。馴れ合えとはいいませんが、無駄に対立する必要もないでしょ。そりゃヲレだって好きになれない団体はありますけど、共存共栄せずとも相互に独存独栄(という言葉があるのかどうか知りませんが)すりゃいいじゃないですか。



一つ、忘れちゃいけないと思うことがある。
たとえばサビ前だと、PPP(名前コール)H→PPP(名前コール)+ヲイ→オー○ングの順で、やる方は楽なのだということ。今ヒューとかやったら跳べる自信ないですわ。
楽といえば、2代目リーダーの時代の娘。コンに、古い付き合いの友人の取った横アリのチケが余ったのでやはり客席歴の長い知人を招待したことがあって、終演後に、
「今の客は体力ないね」
と一言で斬って捨てられたのは未だに忘れられませんが、その頃と比べても今の客席はどんどん体力を消耗しない方向、怠惰な方向に進んでいるのだよね。
ステージに上がる人は稀にケガをするくらい自分を追い込んでいるのに、客席はどんどん楽をしていく。それがフェアであるのかというのは、たまには考えてみてもいいんじゃないかな。
かくいうヲレ自身も小道具を使うことでかなり楽はしていて、たとえば1980年代末〜90年代初め(いわゆる「乙女塾系」の時代)のように「2時間跳びまくりの叫びまくり」みたいに身ひとつでストイックに頑張る*3ってのはもう無理でしょうけどね。少なくとも「この2000人の中でヲレが一番高く跳んでやる」という無駄な闘争心はもうないですねぇ。



あ、思い出した。サビ前が2人以上のユニゾン*4である場合、昔は「PPPHでの名前コールはシモ手からカミ手へ」という暗黙の了解があったのよ。オ○イングもいいけれど、そういう技があることを、忘れてた人は思い出してほしいし、知らない人はこの機会に知ってほしい。


僕が名前コールと出会ったのは確か1992年のCoCo春ツアーだったと記憶しているのだけど、そのツアーにおいて『ささやかな誘惑』の終盤にシモ手側から一人ずつターンするのに合わせてコールしたのが、もしかしたら影響しているのかもしれないし、していないかもしれない。

この映像だと肝心なところでカメラが背中側のものに切り替わっちゃって、流れが逆になっちゃってるのでわかりにくいと思うけど、たぶん5人Ver.のライブ映像ってこれしか流通してないと思うのでご勘弁ください。
この時武道館に入ってる人か、少なくともCoCoを知ってる人じゃないとわからないと思うけど、Aメロのコールが微妙に「歌っている2人あるいは3人のうち画面左のメンバーから」になってるような。
そうそう、この曲のサビで、
(オ゚Д゚)<さーさーやかなゆうーわーく、フッフー!
と叫ぶ・跳ぶ・拳を振るの3点セットやるのは当時でもキツかったなぁ。あの頃はキツければキツいほど燃えたもんだ。



全員の名前を覚えておくのは当然の必須事項、さらに跳んだり踊ったり叫んだりしながら*5一瞬で並びを確認して*6間違いなくコールしていくってのはねぇ、うまくできると最高に気持ちいいんだぜ。


身体と脳を同時に目いっぱい使うこの快感。ホールコンでも、下手すりゃライブハウスでもモニター出かねない今と違って、この時代は武道館でモニターなしですから、同じ衣装を着て背格好にも(遠目には)目立った違いのないメンバーのコールを完璧に実行するためには、記憶力に乏しく、記録もなく、立ち位置を覚えて教えてくれるような親切な人もいない状態では集中力の限界に挑戦するような気分もあって、出来た時のアハ体験ともエクスタシーともつかない絶頂感たるや、それを味わい続けるために立ち位置を覚えることを放棄したくらいだ(笑)。
汎用性に富みすぎてるものだとこういうものは味わえないぜ。技だ芸だと大げさな呼称を用いるなら多少の苦労はしないとね。いや積極的に用いてるのはヲレなんだけどさ。
歌いながらどんどん位置を変えていく曲では難しいけれど、機会を見てまたやってみたいなぁ。一時期廃れてたLOVEコールもいつの間にか*7復活したのだから、これもその後に続きたいもの。


自分で書いてて「いやはや名前コールってのも伊達じゃないんだなぁ」という気がしてきたぞ(笑)。
・歌っているアナタの名前を存じ上げております
・今アナタが歌っているのをこの目で見ております
・アナタ(がた)を応援しております
・・・等々、そういうものをいっぺんに伝えることができるんだなぁ。これもまた認識を改めないと。
伝えられるものがあるのに、伝えないのはもったいないね。


メンバーも認める対応力というか、ステージの上から発信されるものと一つになろうという貪欲な姿勢。これはもうちょっとくらいなら自信を持っていい。増長しない程度にね。
ライトファン〜特濃ヲタとしての客席経験がほとんどないであろう*8メンバーにしてみれば不思議なことだらけだと思うけど、ああいうことがパッとできるってのは、この30年とか40年とかの時間をかけて自然に生まれた「型」に落とし込んでいるからだろうと思うのよ。その型が生まれ、誰かが教えてるわけでもないのに年齢層や客席歴問わず対応できてしまうのはなぜかと考えれば、そこにはきっと、「ステージの上の人々、奏でられる音楽、繰り広げられるパフォーマンスに奉仕する」という精神が貫かれているから。古株としてはそんな風に思うわけ。


これからも彼女たちのパフォーマンスをより引き立てられるように、そして「またステージに立ちたい」というモチベーションを保ち続けられるように、色々と試していきたいね。せっかく「一度客席から見てみたい」とGACKTさんみたいなこと*9まで言われてるんだからさ。

*1:アンチがあんなに大勢入るはずもないと思うの。

*2:完全になくなるのもそれはそれで画一的になってつまらないかもしれない、という気はする。

*3:光るモノや音の出るモノは「演出効果の妨げ」という理由で原則的に禁止されていた、という事情もありました。

*4:別にユニゾンでなきゃいけないわけではないけどね。

*5:この頃ってこちらは水分補給しなかったような記憶があるけど禁止されてたっけ? されてないとしてもあまり一般的じゃなかったような気がする。

*6:この時、たとえ一瞬であってもステージに意識を向ける。このひと手間があるとないとじゃ心意気が違ってくるのよね、精神論で申し訳ないけどさ。

*7:きっかけは中澤さんの『東京美人』だったと記憶します。

*8:勉強のための見学とは違うよねそりゃあ。

*9:「僕は自分のコンサートを客観的に見てみたいという夢があるんだけど、その夢がほんの少しかなったような、そういう感覚を受けた」(『Z BIBLE「機動戦士Zガンダム-星を継ぐ者」完全ドキュメント』[講談社、2005]P182)