細く歩測

いや、昨日の飲み会で言葉が足りなかったり表現が不適当だった(と反省した)ものについての話。



<あの話>
「第一印象が『黄金聖闘士』だったのよね」と言えば伝わりやすかったかなぁ、と反省。どっちにしてもベタすぎるか。


<その話>
自分の話になるけれど、脚を折るまでは毎年冬になるとアイススケートを楽しくやっていたのに、退院してからは氷の上に立つこともできなくなったというね。ちなみに折った側では未だに片足立ちができません。
もしかしたら、「今ならまだ間に合う」とばかりに、立つ、座る、歩く、走るといった日常の基本動作レベルから矯正する(させる)つもりかなー、そうであってほしいなーと願う。ヲレだって整体行くたびに「普段の姿勢から気をつけて」と言われるからね。
そうでなければ、一生レベルの長い付き合いになる。6週間でどうにかなるものかは疑問だけど、それでもやらなければならない。


<この話>
なぜ叫ぶのか。
熱い思いが抑えきれずに出てしまう、というのはあるだろう。これが第一段階。初歩にして究極、もっとも美しい形だね。
そこを越えたときに心に浮かんでくるものがある、とヲレは思う。
自己の確認と表現。
自分は誰を応援するのか。ひたすら一人の名のみを叫ぶものは単推しである自分を、とにかく歌ってるメンバー、目の前に来たメンバーの名を次々叫ぶものは己のDDぶりを自分の心に刻み、繰り返し確認し、周囲に宣言する。
そして自覚や責任感が生まれる。それは時として重苦しく感じるけれど、たとえ趣味や娯楽の世界であれ、自分が何者であるのかを理解して生きられることは幸せなことであるはず。


そういう風に考える立場だから、どうしても相手の名(≒個性、人格)を無視しつつ自分(の立場、自立性)をも曖昧にしてしまうものというのは、それによって導かれる「匿名性」に逃げ込んでる匂いを感じてしまうのよね。試しに自室でDVDを流しながらやってみたときに感じた「楽」な気分は、上に挙げた自覚や責任感と無縁でいられることと関係がないとは思えない。
この楽さ加減はかえってイヤだ。そう思いました。演者は徹底的に叩いて叩いて追い込んでステージに上がるのに、どうして客が楽するんだよ。フェアじゃなかろうよ。


お前が何者であろうと知ったことか。俺が何者であるかを知ろうとするな。今このひとときだけあればいい・・・そんな「行きずりの関係」にも通じる寒々しさ。
客席ってそれでいいのか。ステージとの関係がそれでいいのか。ヲレはいやだなぁ。少なくとも、行きずりの関係でないのであれば、それにふさわしい振る舞いというものがある。
つーかさ、ライブ中は「お互い詮索しないで楽しくやろうぜ」という態度でいておいて、握手会でヲタ芸「ジャギ様」発動とか整合性がなさすぎるでしょ。それを恥じないでいられる鈍感さ、未熟さは度しがたい。


そんなわけで、ヲレの美意識にはそぐわないですね。


<どの話?>

ヲレとしては常に最先端略してSSTをいってるつもりなんだけどな(苦笑)。

世の中で最高にとんがってるやつらを応援する、そんな気持ち。もちろん今は℃-uteでありHello!Projectであり、ボーイ兄さんであるわけだ。


先日の深夜番組をたまたま見てて感じたのだけど、もしかしたらボーイ兄さんは、

K-POPと勝負する

そうできるものを目指しているのかな、という感触を得た。
アイドル日韓戦。そんな言葉を思い浮かべた瞬間、ものすごい興奮を得たのは間違いない。国立で闘う時が楽しみだ(笑)。