めざせ箱推し

「(広告代理店、広告費目当てに提灯記事書く連中は)カネもらえばなんでも広告するんですよ。映画に出てくるやつで、“カネもらえばなんでもやる”奴って誰ですか、悪党ですよ!」
「日本の小屋(映画館)の人たちは、(洋画を上映するか選択するにあたり)英語がわからないのに字幕なしの試写を見て『コレが当たるかどうか』決めてるんですよ! ○ね!」


さすがだなぁ町山さん。そんなわけで、雑誌『映画秘宝』の生みの親・町山智浩氏(映画評論家)のワークショップ『町山智浩の編集教室「映画秘宝の創り方」』なるUstream配信を思う存分楽しませていただきました。雑誌編集とかもう縁がないし、商業誌の仕事なんて二度とやらないだろうなぁ・・・なんて思いつつも見てみた甲斐がありまくりでした。
興味のある方は、時間のある時にアーカイブでもいかがでしょうか。
(1/4)http://www.ustream.tv/recorded/18259727
(2/4)http://www.ustream.tv/recorded/18259823
(3/4)http://www.ustream.tv/recorded/18260152
(4/4)http://www.ustream.tv/recorded/18261166
長いし、回線や機器のトラブルか何かで途中モバイル機からの中継になって画質音質とも低下するし、生中継で落ちた部分は微妙に飛んでるしで、万人に薦められたものではないですが。さすが映画秘宝とかいうな、いま一番売れてる映画雑誌になっちゃったんだってさ。世の中は間違っている。


「自由競争っていうものをやると自由になっていって、いろんなものが自由に出てくると思ったら間違いで、自由競争をやると、お金を持ってるもの、強いものばっかりに染まっていって全部均一化されるんです。みんな同じになっちゃうんです」
自由競争の国アメリカ在住の町山さんが言うんだから説得力がある。



「『(笑)』を使った文章ってホントに面白かったためしがない」
「概念化してはいけない」
「文章で一番大事なものは、結論でもテーマでもなく書き出し。具体的には、わかりやすく書かない、なんだかわけのわからないことで書き始める。もう一つは読者に質問する。書き出しの次は、なるべく早く全体の方向性を示す。ただこれは裏切ってもいい」
「よく“『映画秘宝』は(取り上げている)映画より面白い”っていわれるけど、映画より面白くない方が問題だよ! 面白くて当たり前だよ、付加価値つけて売ってるんだから。じゃあ映画より面白くない雑誌買うの?」


「(ダメな映画雑誌は)過去の歴史を全部切っちゃってる。文脈も何も全部切っちゃって『現在』だけを見てるんですよ。映画ファンというものは育たないですよこれじゃ」


「毎回毎回記事が読者を引きつけるものになるのは不可能。ならばメディア(雑誌)自体のファンになってもらわないと」
「雑誌の面白さは、『枠』がどれだけ面白いか。記事よりも『枠』で客をつかんで、何を入れても『この枠だからとりあえず読む』というファンを作る」
「『この雑誌の切り口は独特だから、いつも買っとくと楽しい』っていうものじゃなければ、雑誌は今後続かない。どれだけ個性的な『枠』を作れるか」


「僕は色々な雑誌作ってきたけど、必ず原稿料は払ってきた。安いものでなく、必ずアベレージ(相場)で。『売れないからこれだけしか払えません』とかなんで(外部のライターに)言うの? だったらお前の給料減らせよ」


「音楽だと、オアシスって僕らの世代にはどう聴いてもビートルズなんだけど、『オアシスってビートルズだね』といわれて、『俺はオアシスが好きなんだから関係ねぇ』って人と『じゃあビートルズ聴いてみよう』、モータウンやリズム&ブルースも聴いてみようって人に分かれる。前者はミュージシャンにはなれるかもしれないけどロックマニアにはならない。マニアになる人は後者のように深く掘り下げる人。雑誌っていうのは深く掘り下げる人を相手にしないと『場』にならない。新しいものを追いかけるだけの情報誌になる」
「映画だとタランティーノ。どんどんどんどん掘り下げる人。こういう人向けに作ると、とりあえず逃げない。今だけを追いかける人はいつ逃げるかわからない」
「自分で作った客は逃げないし、他もそういう客は奪えない」

熱く、鋭く、説得力のある言葉。
聞いてるうちに、これは雑誌だけ、映画評論だけの話じゃないぞ、と思えてきました。


対象は何でもいいですけど、確かに「枠」とか「場」という言葉で表されるもの、世界観、理念、哲学、・・・そういうものが自分とマッチするとなかなか離れられないし、見えづらいものは警戒するようになりますね。
概念化してはいけない、というのは、ヲレのいう「俺が好きなのは『アイドル』じゃない」に通じるものがあると勝手に決めました。引いて見ることで大事なものが見えなくなることってあるよね。昔から「木を見て森を見ず」なんてなことを申しますが、一方では「愛すべき神は細部に宿る」なんてなこともいわれておりまして、ヲレとしては森よりも木かな。木がなかったら森もないわけだし、木から見えてくる森の姿ってのもある。
過去の歴史やそこからの文脈の重要性もよくわかる話だし、その時どきに好きなものだけを追いかけていく虚しさ、もったいなさというものも、若者たちを見ていると痛感します。


遠いものは小さく見える。「客観的」を言い訳に問題から遠ざかろう、さも自分と関わりが薄いことであるかのように語ることで逆に逃げよう、そんな風に企むことで、矮小化したりおかしな転嫁をしたり。そういうことってあるよね。ぶっちゃけると、このところのスマイレージの人事の件をハロプロだけのものとしたがる人って真剣にアタマ悪いよなーってことです。


直接の知り合いではなく、リツイートされてされてでタイムラインに見えてくる言葉の薄っぺらさ、安っぽさの根本に何があるのか、いや、何がないのか。一家言ある人(苦笑←あ、使っちまった)が陥りやすい勘違い。そんなものまでおぼろげに見えたような気もして、実に実り多き時間となりました。
何度でも見たい。見なきゃいけない。