革命ふたたび

単なる思いつきですけど、今日のイベントは「梅田えりか卒業セレモニー・序章」の意味合いもあったのかなーと。
で、思いつきついでなんですが・・・


(以下狼よりコピペ)

9月10日、℃-uteの日は4回目を迎えました。
3年前はメンバーは8人だったのですが今年は6人です。
めぐと栞菜が℃-uteを辞めて、そしてあとえりも一月半で卒業です。
メンバーが辞めていくのは毎回とても寂しいですが、でもみんなそれぞれの考えや目標があって辞めていきます。
そんなめぐや栞菜を今でも私たちは応援しているし、もちろんえりが早くモデルになる日を楽しみにしています。


11月からは℃-uteは5人になりますが、5人になったからパワーダウンしたとか面白くなくなったとかみなさんに言われないように、
そしてえり、めぐ、栞菜の3人にも笑われないように5人で力を合わせて頑張っていきたいと思います。
これからもみなさん応援よろしくお願いします!

(コピペ終了)


ふと、あの2006年11月3日のステラボールで、緊張で震えながら必死にコメントを発していた中学3年生の姿がオーバーラップしました。


「人生長くやってりゃあ色々あるさ」的に、時間を重ね歴史を紡いでいくうちに背負ってしまった荷物みたいなものってあると思うんです。
それを忘れるでも隠すでもなく、単純な歴史のひとコマとして片付けるのでもない。「臭いものに蓋」でもない。そもそも臭くない。


今日のトークの端々に現れた、これまでアンタッチャブル扱いだった部分への踏み込み。これDVDになる(できる)のかいな、と思わせるほど思い切ったことをやったのは、未だにネットでやいのやいのいわれ続けてることへの「お前らいい加減に黙りやがれ」であるのかもしれないし、ハッキリと「かつて村上愛有原栞菜というメンバーが存在した。しかし今はいない」と打ち出すことで、夭折した芸術家が伝説として語り継がれるのと似た効果を目論んだ大人がいたのかもしれません。
でも僕は、
「この荷物をメンバーだけで背負うのも、人数が減ってそろそろ厳しくなってきたんで、ちょっとその重さを感じつつ後ろから押してくださいな」
僕らのリーダーでもある℃-uteリーダー・矢島舞美からそのように頼まれたのだと思いたいです。
共犯意識・・・じゃないな、どちらかといえば「被害者の会」みたいな。
「つらい現実」被害者の会。


(11日10:55追記)
被害者の会が作られるというのは、一般的に考えると個々では立場の弱い者たちが手を取り合って誰かあるいは何か(多くの場合は加害者)と闘う意思があることを示すのだと思う。
何と闘おうというのか。つらい現実そのものなのか、現実に立脚しているように見せて、安全なところから好き勝手なことをいい募るだけで理解のための歩み寄りさえ見せず、結果的に現実と正対することから逃げている誰かあるいは何かなのか。
(追記終わり)


(11日12:21さらに追記)
上手い文言が浮かばないのですが、つまり℃-uteは過去のすべてを背負って進んでいくということであり、2006年の1月以降の℃-uteは現在に至るまで、そしてこれからも8人であるということで、たかが脱退だの卒業だの程度のことで排除できると思ったら大間違いだ、そんなに安いオンナじゃないぞということで、そうやって簡単に誰かの存在を否定できちゃう薄情者とは断固として闘っちゃうぞということで、つまり「℃-ute」ってのは単に芸能集団の名称にとどまるものでなくてもはや哲学の域に近づきつつあるということで、・・・だめだ、書いててもわけわかんない。
(追記終わり)



出典を思い出せも探し出せもできないから話半分で流してほしいのですが。
「1980〜90年代のアイドルがその作品世界において、リスナーのセンシティヴな精神、その傷や痛みとどのように向き合ってきたか」
という考察を読んだ記憶がありまして、確か「励ましから癒し、そして共有へと変化していった」という論旨だったと記憶しています。記憶なので間違っているかもしれません。


(追記)
℃-uteの場合は楽曲もさることながら、ラジオだったり雑誌だったり、もちろんライブもそこに含まれるけど、それらすべてをひっくるめて形作られる「℃-uteワールド」、およびそれを作っていこうという姿勢そのものが最大の作品かもしれないとも思えるので単純比較はできないとして、
(追記終わり)
共有、という言葉だけ取れば今日のイベントもその歴史の流れを継いでいるかに見えます。でもかつてのものとは主客が完全に逆転している。
あの時代には「同じ時代に生きているのだから、あなたの痛みは私の痛みでもあるんだよ」と歌う*1アイドルが一部の人々にとっての「救い」として機能していた実感があるのですが、「荷物持ちと後押しを」とステージ上から依頼する℃-uteは、そのままでは僕らにとって直接的な「救い」にはならないんじゃないでしょうか。
℃-uteは僕らを救わない。むしろ僕らが℃-uteを救いそれを自らの救いとする。


僕が無駄に長い間色々と見てきたアイドルとユーザーの関係というのは、どうしてもアイドルが上でユーザーが下という図式になっていたと思います。その関係では、アイドルがユーザーに「ちょっと大変なんで手伝ってくださいよ」という意味合いの発言をすることはなかった。できるはずがなかった。恐らくは許されなかった。
ところが℃-uteはいとも簡単にその図式を壊し、必要とあらばユーザー目線へ降りてくる。バスツアーの奇跡のサプライズ企画なんかその最たるもので、ステージの上から観客のいる場所へ文字通り「降りてきた」じゃないですか。
この姿勢こそが℃-uteの小さな革命であり、究極のファンサービスじゃないかと思うのです。
もしかしたら僕が長い間求めていたものはこれだったのかもしれないなぁ。衣装の露出度が高かったりレスをくれたり握手会でがっつり話せたりってのもものすごく高まるんですが、目線を合わせてくれる、それによって価値観の一部を共有できる(という錯覚をおぼえる)のは、「理解されている、少なくとも理解しようという気持ちを持ってくれている」「このコたちは『こっち側』だ」と感じることができ、深く満たされるわけです。
ただこうやってユーザーのデリケートな部分に突っ込むというのは、今日のように成功すれば嵐のような感動を巻き起こすわけですが、失敗したら逆にブーイングの嵐。確実にファンを失ったでしょう。すべて台無しになるなりかねない勝負なわけで、その勇気にはあらためて感服するとともに、乾坤一擲の大勝負には必ずといっていいほど勝利する℃-ute、そして矢島舞美はとても頼もしい存在に映ります。


リアルな話をしちゃうと、テレビ番組でモーニング娘。さんと脱退組含むOGとが絡む企画が多くなったことで「脱退だ円満卒業だは関係ない。仕事持ってくるヤツが偉いのよ」という空気ができてきたのかもしれません。
それと℃-uteと何か関係あるのか? というのは僕にも不明ですが(その程度で書くのかよ)、限界を超えたレベルで都合のいいように解釈すると、「先々に何かあるのかもしれない。すなわちそのように考えられる状況が今現在℃-uteの周囲で実際にあるんじゃないのか」という希望を持つことだってできるじゃないですか。



2009年10月25日という日はこれまで以上に「ひと区切り」となる、ということが示されたのかもしれない2009年9月10日。
こりゃあますます目が離せないな。誰か栃木と中野と大阪最終公演のチケおよび交通費をください(笑)。

*1:念のために書いておくと、直接そう歌った曲はない・・・はず。