お知らせ

平素は「僕は矢島舞美が好きなんです。」をご愛読くださり、ありがとうございます。
しばらく更新してないから、もはや誰も読んでないかもしれませんけど、まぁそんなのは俺が悪い。


2016年の℃-ute界隈最大のニュースは、なんといっても解散発表でしょう。
2017年6月、SSAでの公演をもって解散。
いいたいことはまだまだ色々ありますが、実に潔い決断だと思いますし、決断することができた5人を尊敬します。こういう人々の成長を見てこられたその日々はとても充実したものでした。℃-uteを選んだ自分を誇りに思います。


で。


℃-uteの解散とともに、僕のアイドル好き生活というか、現役アイドルを追いかけて現場に足を運んだり楽曲を聴いてあーだこーだどうでもいいことを発言したりすることを、いわゆる「無期限活動休止」しようかと思っています。
2018年には初現場から40年を迎えることだしそこまでは、という気分もなくもなかったのですが、節目を気にするような大層なものでもないでしょうしね。


大きな理由の一つは、ベタすぎて申し訳ないくらいですが、この先熱中できそうな対象に、現時点では出会えていないこと。もうちょっとJuice=Juiceに興味持てるかと思ったんですが、「ハロプロの実力派5人グループ」という℃-uteとの共通点が、逆に「でも℃-uteじゃない」という差異を際立たせる感じで、どうにも心が動かないでいます。モーニング娘。は、なんかもう楽曲よりもメンバーの関係性とか個々のキャラクターに関するヲタクの気持ち悪い妄想ばかりが強調されている印象で、作品第一主義の俺の好みからは外れるのですよ。


いわゆる「アイドル戦国時代」と呼ばれたブームが仕掛けられた時、僕には違和感しかなかったんですね。
「要するに、『80年代のアイドルブームを再現してお金儲けしようぜ』ってだけでしょ」
すぐに事の本質を見抜く能力を持った僕の目には、そういう風にしか映らなかったのです。そんな魂胆の見え透いたものに乗っかるほどアタマ悪くない。ハロプロ内で「戦国時代担当」の役割も負わされていたスマイレージに、アンジュルムとなった現在もあまり良い印象を持てず敬遠しているのは、そういうことなのよ。


時は流れ、アイドル戦国時代からアイドル生き残り大戦の時代へ。ニッポン社会お得意の護送船団方式で生き残らせてもらえるところは多いと思うけど、小さいところは既にいくつも潰れてるよね。それぞれに事情はあるだろうけど、さしたるビジョンも持たずに誰かの持ってきた儲け話に飛びついただけなんじゃないの? という風にも外からは見える。利用された女のコたちが気の毒というものです。


生き残りのための戦術は・・・
客の好きそうな曲、客の好きそうな衣装、パフォーマンス、コメント、イベント、……どこもかしこも「客の好きそうな」ものを提供するのに心を砕くのみ、客に媚びるだけ。
それのどこがいけないのか? という疑問が出る時点で既に時代に毒されているといえるでしょう。
僕はアイドルに限らず「客(とスポンサー)に媚びない」のが好きなので、そういう観点からすると、今いるアイドルというのは魅力がないんです。
それはハロプロも含めてのことだし、℃-uteにだって感じないわけではない。
このまま続いていたら、もしかしたら℃-uteを嫌いになる時が訪れたかもしれない。そうなる前に終わりを迎えられるというのは、そういう点だけでいうならラッキーなことです。


今のアイドルの話はできないけど、古いアイドルの話なら得意だぞ。
古いっていっても、日本のアイドル歌手の歴史というのも長いもので、どこを起源とするかは諸説あるわけですが、記憶にあるところで考えると1970年代ですかね。
70年代だと、アイドルというのは「歌謡曲」の一ジャンルというか、演技の世界でいう「子役」に近い分類ではなかったかと思います。変化するのはキャンディーズなりピンク・レディーなりの登場からでしょうか。
脱線しますが、この「アイドル≒歌の世界における<子役>」というのは今も根強いイメージではないかと考えます。だからこそ、基本的に「稚拙」なものとイメージされ、時に「実力派」が現れ、いつか「脱皮」「卒業」するものと考えられているのではないでしょうか。
閑話休題


80年代になると、職業作家だけでなく、ロック/ニューミュージックのミュージシャンに楽曲制作を依頼するケースが目立ってきました。
これは有り体にいって、
「歌手の技量が物足りないのだから、せめて曲だけでも良いものを作らないと格好がつかないし、移り気な消費者(≒テレビの視聴者)*1をつかむことはできない」
という意識だったんじゃないかと想像します。
今ほどマーケティングに縛られていなかったこともあってか、「売れてるミュージシャンに頼めば売れる曲ができる」「今までにない曲を生み出すには、今まで頼んでない作り手を起用すること」という、今からすれば安直な発想があり、それで成果を出せることもあった、牧歌的な時代でもありました。
結果、依頼されたミュージシャンからすれば、「やりたい放題」ともいえる状況が出現、売れた・売れないに関わらず、多くの伝説的名曲が生まれました。
この時期もっとも「やりたい放題」だった一人は細野晴臣だと思ってます。松田聖子で数々のヒット曲を世に送ったかと思えば、スターボーで大コケ。今もカルト的人気のある真鍋ちえみなんかも印象深いですよね。




こういう話で忘れたくないのは奥田圭子の「プラスティック」。作曲が氷室京介、編曲が布袋寅泰という恐ろしい布陣で、きっちりと「らしさ」を出してくれます。

もう少し知ってる人が多そうな例でいうと、末期の岡田有希子サウンドプロデュース:かしぶち哲郎)とか、鈴木慶一プロデュース期の渡辺美奈代。くしくもともにムーンライダーズですが、ライダーズじたい媚びないバンド、やりたいことしかやらないバンドですからね。

それらに共通していたものは、「客(とかスポンサー、クライアント)に媚びない」ことだったのでは。
こっちからお願いしたんじゃなく依頼されての仕事なんだから俺の好きにやらせてもらうぜ、みたいな、こういうのが大好きなんですよ。だから今の主流であるコンペ形式とか絶対悪だとしか思えないし、そこから偉い人のお許しを得て「作らせてもらう」「出させてもらう」ような楽曲が好きになれるわきゃあないのです。


かつてのアイドル、というより歌謡曲の歌い手にとって、歌のヒットやスターの座、お茶の間の人気というのは「勝ち取る」ものでありました。即ちテレビ桟敷の僕たちは、向こうからすれば「味方につけたいもの」であり、であるならば本質的に「敵」、少なくとも味方と決まってはいなかったものだったのです。この意識によって、送り手と受け手の間に良い緊張状態が生まれ、それが数々の魅力的な楽曲や歌い手、また聴き手をも育てたと僕は信じています。
今はどちらかというと、アイドルとスタッフ、受け手が一緒になって、メジャーデビューや単独ライブや大会場を目指す物語が主流で、それはそれで楽しいのでしょうけど、受け手が物語の登場人物になってしまうのは、好みではありません。℃-uteにもそういう物語はあった、むしろ℃-uteこそ「物語型」の筆頭じゃないかという気もしますけど、今のそれとは何か空気が違うんだよなぁ。アップフロントという会社の方針として(だと思う)客の声に耳を貸さない傾向があったから、それがギリギリ緊張感を担保していたように思うのです。


送り手が客に媚びて、初めから味方になっている客と一緒になってアイドルを持ち上げて、「ここではない、どこか」を目指す。そこに緊張感が生まれるとは僕には思えなくて、そういうのはとてもつまらないと感じるのです。



ほとんど話題になることはありませんでしたが、今年の春、あるローカルアイドルが、メンバーチェンジを繰り返しながらの足掛け15年に亘る活動を休止しました。


ファンの皆様へのご報告 (Pinkishは永遠に不滅です!…たぶん。)

活動を展開する中で、「現在のアイドルの枠」の中での活動にメンバー・スタッフ共々大変疑問や閉塞感を感じるようになり、結成当初の目的とのズレが生じてきている事も感じるようになりました。

結論として、「現在のアイドルの枠」に流される事なく初心に戻る為に一旦活動を休止して、メンバー各々が今までできなかった事にチャレンジし、Pinkishメンバーとしては勿論、一個人としても当初の目的である「地元の活性化」の一助になるよう個人の資質を磨く為に活動休止を決断致しました。

そういうものか、としか感じていなかったのだけど、いざ自分が活動休止というものを考えるようになると、なんだか身に染みてくるものがあります。


「時代に負けた」という見方はあるでしょう。Pinkishはどうか知らないけれど、僕に関しては、否定しきれないものもあります。
とはいえ。
時代と自分の理想とにズレを感じたとき、これまで築き上げたものを一旦なかったことにしてでも、自分の信じる道を行くというスタイルは、美しいものではないでしょうか。
Pinkishに関してはそう思います。もしかしたら、僕はPinkishのファンにならなれるのかもしれない。一度も現場に行ったことのないまま活動休止を迎えたけれど。


僕個人についていえば、


(オ゚Д゚)<間違ってるのは俺じゃなくて時代の方だ


そんな思いがあります。だから時代と、そんな時代に添うアイドルと、それに依存するヲタクとかいう気持ち悪い生き物を、まとめて捨てるのだ俺は。



もう一つ。
ヲタクとかやって遊んでいる場合じゃない。それが僕の周りにある現実なのです。そこから逃げるわけにはいかない。この状況で趣味に逃げて現実から目を逸らしていてはいけない。そう思ったのです。


一つは、僕らが生きるこの国、社会のこと。
ざっくりいって、人間を大切に考えない方向に進んでいってるな、と思うのです。
これは食い止めなくてはいけない。人間が大切にされる社会を作らなければ、庶民はもうただ人間らしく、憲法で保障された「健康で文化的な生活」を送ることが難しくて、ただ生きるだけのことさえ苦しくて苦しくて、どうにも耐えられないところまで来ようとしている。
今いるアイドル従事者の女のコたちも、いつか伴侶を得て、子供を持つことがあるかもしれない(ないかもしれない)。その時に、親子ともども、孫の、その先の世代までも、生きる不安のできるだけ少ない世界で生きてほしい。たとえば戦争やテロで生命が危険にさらされることがないように、私利私欲にまみれた政治屋の横暴で苦しめられることのないように、そういう社会を作っていく道筋をつける一歩を踏み出せるようにもっていくのが、アイドルを生きる支えとしてきた僕にできる最後のご奉公じゃないのか。そう思うのです。


自分自身についても、考えたことがあって。
今年は理不尽な形で勤め先を辞めさせられたこともあり(復職を目指して闘争中)、派遣の仕事をすることになったんですけど、最初に紹介された職場が衝撃的だったんです。
ライン作業の現場で、周りはいわゆる「人生詰んだ」ような、どう見てもこの先上がり目なんか絶対になさそうな人ばかり。当時の精神状態が最悪だったこともあって、「こんなところにいたくない」と思ったんですね。実際一ヶ月ちょっとで辞めました。
その時に思いました。派遣で、誰でもできるような仕事を先の見通しもなくダラダラやっていたら、俺も「詰む」ぞと。
いや、実際はもうだいぶ詰んでるんですよ。何か特別に技術があるわけでもなく、専門分野があるわけでもなく、金儲けの才覚もない。結婚してこのブログのタイトルを「僕は矢島舞美が好きなんですが妻(と子供)を愛しています。」に変える夢はありますが、仮に今すぐ結婚して10か月後に子供が生まれたとしても、義務教育終わる前に定年(60歳定年の場合)ですよ。自分ひとりでも毎月金に困ってる今の給料じゃ家庭なんか持てないし。
それでも、このまま終わりたくない。もっと稼げる仕事をして、楽な生活をしたい。
そのためにはどうしよう。何か資格の勉強でもして転職しようかな。


そんなこんなで、どう考えても、今の僕には趣味に溺れている余裕はないのです。


魅力的なアイドル、客にもスポンサーにも広告屋さんにも媚びないアイドルに出会えたら、ここまで書いたことは全部なかったことにしてシレッと復活しますよ。
でも、望み薄いよなぁ。


「お前ら黙ってこの曲聴けや」
「おお聴いてやる。出来が悪かったら承知せんぞ」
そんなバチバチした関係が、どこかに少しでも戻ってきたら。
そこは僕にとって楽園になるだろうと思うのです。


あとは若い世代に期待……なんてことはまったく考えていません。
僕からすればまったくもって出来の悪いものを喜んで、ありがたがって押しいただいている小僧・小娘に何かができるはずもなく、一緒に沈んでいくなら大したもので、大部分は飽きたところでとっとと逃げ出すのだろうと思っています。
俺も一足先に逃げ出すのだから、偉そうな口は利けないけどさ。


2016年の現場は、6月の℃-ute武道館と、今月のキューティーランド、わずか2回。
仕事が忙しくて現場のスケジュールが入れられなかった時期も2年くらいありましたが、それを除くと記録的な少なさ。精神面や経済面の事情はあるけど、我ながら驚きです。
来年は℃-ute春ツアーと最後のSSAだから、数としてはそんなに変わらないのかな。スケジュールと予算が合えばどこかで個別握手会でも行って挨拶しておきたいな。


とにかく、あと半年だ。

*1:今では考えられないくらい、みんなテレビを見ていたし、影響力も強かったよね。