超HAPPY END

お久しぶりです。
更新しないでいるうちに(いや、正確にはそれ以前から)色々ありまして、信じていた人々や会社に次々と裏切られたせいでしょう、十数年来のうつが激しく悪化しました。
もうね、すっかり心が死んでしまいまして、心が動く、感情が揺さぶられるということがなくなりました。あと記憶力とか思考力もガタ落ち。正直、社会生活を営むのが困難な感じです。本当は失業保険もらってのんびりしたいところなんですが、自己都合にさせられたから、求職登録しても支給まで3ヶ月待ち。収入がないとクレカの支払いや、自転車やらPCやらで使ったカードローンの返済に困るので、毎日死にたくなりながらも働いて・・・ないや今は。派遣会社で紹介してもらった仕事を1ヶ月で逃げ出し、来週早々に次の仕事の職場見学に行くまで、ちょっとだけお休み中なのだ。
でも、そんなこともいっていられない事態が勃発しましたな。


℃-uteに関するお知らせ

正直に白状すると、自分自身の最初の反応は、


ふーん


そんな感想しか持てない自分に愕然としたね。俺の心はここまで死んだかと。
まぁ去年あたりから楽曲の質がありえないくらい低下したのをひしひしと感じたし(「Summer Wind」は流石つんく兄さんという挑戦的な作品だったけど)、スタッフワークも客に媚びることばかりで作品のクオリティについてとことん詰めることを放棄していると思えた*1こともあり、だんだん熱意が薄れていったことは確かだったのだけど、それにしたってねぇ。


少し時間が経って、ゆっくりと新聞記事や公式HPなんかを眺めていると、違った感慨が浮かんできた。


自分たちで解散を決断できるようになったのか。

そこまで成長したのか。できたのか。

これはもう感動といってもいい。心の状態が悪化してから、こんなに心を動かされたのは初めて。やっぱり℃-uteは俺のために(ry。


いわば「やり切った解散」という形は、俺が見てきたなかではメロン記念日以来になるのかな。メロンほど「これ以上のものはもう作れないだろう」といえる素晴らしいアルバムを残してるわけじゃないから、それほど「やり切った」感じはしないけど。
ただ、こういう、何かのアクシデントや「大人の事情」ではない形、
从・ゥ・从<今のフィールドでやれることは全部やった!
从・ゥ・从<ここいらで河岸を変えるぜ!
という形でアイドル稼業の幕を下ろせるってのは、これは大団円なんだぜ。
アイドルから円満に「巣立っていく」のに立ち会うのは、酒井法子とか高橋由美子とか、あとは最近何かと話題の工藤静香とか、そういう歴史上の存在しか思い浮かばない。レジェンドたちに比べれば一般的知名度に雲泥の差はあるけど、そこは気にしない。


駄菓子菓子。


「残り10か月、℃-uteと一緒に突っ走るぜ!」でいいのかな。
そいつぁちょいと能天気に過ぎやしませんかねお歴々。

今年2月、メンバー全員が20歳以上になったタイミングで、
℃-uteの今後、そしてメンバーそれぞれの将来について、話すタイミングがありました。

これはつまり、メンバーに迷いが生じてきたことを表しているわけよね。
今後どうする(どうなる)のか。将来はどうなる(どうする)のか。
今まで通り、いやそれ以上に磨き上げた極上のパフォーマンスを提供していく・・・だけでは満足できない、あるいは不安に思う。
今までとは少し違った形で「成長」していきたい。そういう欲が芽生えてきたのかもしれない。
だけど。
そうではないとしたら。
行き詰まり。先が見えない。
そんな状態だったとしたら。


初の武道館公演を行う少し前から、目標を問われると武道館だ横アリだSSAだ、果ては東京ドームだと大会場での公演を挙げてきた℃-uteだけど、そこに至るまでに何をするか、何をして大会場で公演を行えるだけの成長を遂げるか、大会場で何を見せるか、・・・そんなビジョンが示されることは、どこからも、誰からもなかった。それくらい基盤が脆弱だったのが℃-uteであり、それでも活動を続けられたのは、何よりメンバー5人の情熱だった。
低迷期と何ら変わることなく、℃-uteはいつも崖っぷちにいたのだ。僕らはそれが見えなかった。あるいは見て見ぬふりをした。
みんなで盛り上がるために。盛り上がりに水を差さないために。
俺たちは揃いも揃って弱虫ばっかりだった。


さらにいうなら。
℃-uteを迷わせるような、将来的なビジョンを見失わせるような、そういうことを俺たちはやらかしているよね。
2014年春、本音ツアー。
カンの悪い人でもわかるよね。
あの時、ファンを自称する、その実「テメェが成長したくない(≒大人になりたくない≒無責任でいたい)がために対象にまで成長しないことを強要する幼稚な外道*2」による執拗なバッシングにより、℃-uteは「年齢に応じて成長した姿を見せていく」道を閉ざされた。
ここから℃-uteは、というか送り手の大人たちは、客の顔色をうかがうようになったと俺は感じている。楽曲はライブ映えが優先されるようになり、事あるごとに「team ℃-ute」が乱れ飛び、業界内での評価が高まる一方で、どんどん「閉じた」ものになっていった。
誰よりもそこに不安を感じていたかもしれないのが、他ならぬメンバー5人だったかもしれないと推測させる、一連の経緯が示すものは大きく、重い。
℃-uteであることと成長することを天秤にかけ、℃-ute℃-uteであることをやめることにしたのだ。なんと胸のすくような復讐だろう。因果はめぐる恋の季節
当然だろう、成長することを阻まれたら、あとは死ぬだけ、滅ぶだけなのだから。
从・ゥ・从<もど〜り橋だよ渡れない〜♪
从・ゥ・从<もど〜り橋だよ渡れない〜♪
从・ゥ・从<い〜ろ〜は〜に〜ほへ〜と 散りぬ〜る〜我が〜身〜♪
それは「夢は散るだけ 覚めるだけ」だろ。ってなんでここで「大江戸捜査網里見浩太朗編のEDなんだよ。
从・ゥ・从<お前さん好きでしょ?

確かに里見編が一番好きだけどさ。閑話休題


さらに。
ここ何年か、ハロプロ内でメンバーの増減(というか減)があるたびに「なんで℃-uteには何の変動もないんだ」みたいな言いがかりをつける奴、ネット上によくいたよね。
何かにつけ「℃-uteもそろそろハロプロ卒業する頃合い(すべき)」とかいう発言も、よく見かけたよね。
そういう意識の集合が有形無形のプレッシャーになったということは、あったと俺は思う。なかったはずがない。人の心はそんなに無力じゃない。


℃-uteが現状のままハロプロに留まることを、ファンは望んでいない。
送り手の大人たちはそう受け取ったに違いない。だから、「これまで通りハロプロでの活動を続ける」という選択肢が提示されなかったのではないか。


そういうことだからさ、℃-uteの道を閉ざした、声のでかいバカを止められなかった俺たちは、悲しんだり嘆いたり、まして送り手の大人たちを責めたり叩いたりする資格なんかないんだよ。


℃-uteを解散させたのは、

℃-uteファンであり、

ハロプロファンである。


この自覚を持って、これからの10ヶ月を過ごしてほしいもんだと思う。この罪から目を背けたら、この現実から逃げたら、俺たちは本当の卑怯者になるぞ。それで℃-uteの前に立てるのか、客席にいられるのか。いられる奴はいられるんだろうな。


あれほどまでにファンを大切にした℃-uteも、結局はファンに殺される形となった。
現実ってやつはどこまでも残酷だ。
でも、この現実の中で必死に生きる人々にエールを送り、受け取り、互いに次の一歩を踏み出す活力を得たり、背中を押してもらったり。それが℃-uteのステージでありパフォーマンスだったり、それらを通してのメッセージだったと俺は思っている。
それはこれからも変わらないだろう。

11年間、真剣に夢と向き合い、メンバーみんなで走り続けてきたからこそ、
さいたまスーパーアリーナ公演を終えたら、「もう、未練はない!精一杯℃-uteを全うした!」と、
自信を持って言えると思います!

お互い悔いのないようにいきたいもんだね。


願わくば、あと一枚オリジナルアルバムを出してくれないかなぁ。それこそ『MELON'S NOT DEAD』のごとく「もうこれ以上のものは作れないだろう」と思わせるような、俺が今まで聞いた女性歌手のアルバムのなかで頂点に立つ『ヴィーナス誕生』(岡田有希子)のような、30年聴き続けられる、30年経っても新たな発見があるような、30年後にはきっと俺は骨になってるだろうけど、それだけの、いや、もっと先まで時が流れても、好事家の間だけでも語り継がれるようなアルバムがさ、一枚ほしいよね。
その時は客の反応なんか二の次にして、作り手が聴かせたい音楽を神経注いで作ってほしいなぁ。そういうのが聴きたいんだよ。


(18時25分追記)
あとさ、最後の公演のタイトルには、
℃-ute Cutie Circuit FINAL」ってつけてくれんかな。いや何、古ヲタクのロマンチシズムさね。

*1:9thアルバムの、あのやる気の感じられない曲順設定は何なのだろう。個々の楽曲にはいいものもあった(というのは春ツアーで知った)けど、聴かせようって気持ちがないものをリリースされても迷惑だよ。

*2:かつてのアイドルマニアが自嘲を込めて自称したものでなく、まさに「人の道を外れたもの」ね。