時には振り返る

KYさんへのコメントレスを書いていたら、2006年11月3日のことを思い出しました。いや実をいうとイベント自体の記憶はもうほとんど残ってなかったりしますが、あの日感じたことが今の自分を形成しているわけで。


新しいファンが増えた今はそんなに重要なことでもないかもしれないので詳しくは触れませんが、まぁ直前に色々ありまして、恐らくは「℃-ute存亡の危機」くらいの状況で行われたイベント。メジャー初CDの発売記念イベントだというのに、異様に重苦しい雰囲気。今の騒々しい客席(苦笑)からは想像するのも難しい話ですが、開演前には誰も声を発してなかったもんねぇ。
今思うに、あの雰囲気で最初に出てきたキューティーガールズは大変だったろうなぁ。でも頑張って会場の空気を変えてくれました。きっと必死だったろうなぁ。
いや、7人とも必死だった。必死で歌って踊ってトークして。ギリギリのところで踏みとどまって。
この7人でやっていく、という決意。
その姿に僕は激しく感動したんだった。


そして・・そうだ、矢島舞美だ。
前の方の席にいた人のレポで「手が震えてた」なんて記述があったくらいに緊張していたらしい。真野ちゃんイベントで好き放題にボケ倒す今の姿からは想像もできない。
置かれた状況を正面から受け止め、その上でなんとかしよう、するのだという意思。
かっこよかった。


惚れた。
そんなちょっと古臭い言い回しが脳裏をよぎった瞬間、お気楽なDD暮らしをしていた僕が無意識に設定していたリミッターが吹き飛んだのでした。


これも新しいファンにはどうでもいい話かもしれませんが、℃-uteって逆境からのスタートなんですよね。
でも「そこから這い上がってきた」という泥臭い印象はあまりなくて、自分(たち)の未来を信じてただひたすらに走ってきた、そしてこれからも走っていく。そんな清々しさとかどこかスポーツライクな印象の方が強い。見てて気持ちがいいのはそういう部分に拠るところも大きいかな。


今は順風満帆に進んでいるけど、「気を抜いたらまた逆境に戻っちゃう」みたいな危機感がどうしてもぬぐいきれなくて、最近でこそ「℃-uteあるところに℃-uteファンあり」という安心感も出てきてはいるけど、今でもあの日のように「俺たちが押し上げていかなきゃ」みたいな気持ちになる。
7人が全力で走れる道を整備したい。そういう思いは変わらないなぁ。


前にかしましさんが書いていた、握手会の厳戒態勢。何しろ℃-uteと握手するのが初めてだったので、「へー℃-uteはこういうシステムなんだ、新しいなぁ。身軽になれていいかも」なんてお気楽に構えていたけれど、実はサービスどころか警戒されていたのだということを後で知った次第。
確かに、あの日は何かが起きる(起こす人がいる)かもしれなかったし、それも別段おかしいことじゃなかった。いや冷静に考えればおかしいことなんだけど、心情としてはきっと理解できなくもなかったと思う。
℃-uteとファンの関係も逆境から始まっているんだよね。それまでがどうだったかはわからないけれど、いったんリセットされてしまって。
それが今では、メンバーがごく自然にファンに対する「感謝」のコメントを出すまでになった。この変化には、実は今でもちょっと驚いてもいる。僕らが何か特別なことをしたということはないわけだからして。
きっとあのイベントの準備段階で、握手会をやるかどうかで楽観派と悲観派でやり合ったことと思う。
その時、「もう一度だけ信じてみよう」と思ってくれて、それを押し通した人がいたんじゃないのかなぁ。何かあったら首を差し出すくらいの覚悟で。
ある意味ギャンブルだったと思う。外れたら何もかも失うくらいの。
それができたのは、「ここを乗り越えないなら、乗り越えさせてくれないようなファンしかついてないなら未来はない」という感じの強い思いがあったんじゃないか、と想像している。
そして・・・勝った。
妄想はさらに続くのだけれど、今も続くスタッフさんの℃-uteへの「やる気」みたいなものは、このギリギリの勝負に勝ったところから始まったのかもしれない、という考えも浮かぶ。あそこで一歩踏み込んだ勇気、それが報われた喜び。それで一層燃え上がったのかなぁ・・・なんてね。


ただ僕は、あの時期に℃-uteを窮地に追い込んだのが自分たちであることを忘れてはいないし、その責任は未だとりきれていない、と思っている。
でも、それとは別に、あの時のまるで荒野のごとく荒れ果てた心、その関係という土地を耕し、種をまき、水をやって「実り」をもたらした僕らの共同作業の価値は間違いなくある。それは信じていいものだと思う。


メンバーがファンへの感謝を口にする時、実をいうと僕の中に未だ残るひねくれた部分が、「これはキレイゴトなんだよね」と反応する。
いいじゃないか、キレイゴトだって。
できるかぎりそれでいこう、という意思があるのなら、それに応えてみせるってのも誠意のあり方だと思う。
現実は甘くない、なんてことは骨身にしみているはずの彼女たちだから、その現実を飲み込んだ上でキレイゴトを選択するのなら、僕はその心意気にエールを惜しまない。


いつかは現実を思い知らされる。その多くは僕らをネガティブにする。
でも、それまでに幸せな記憶を積み重ねておけば、それは僕らの心に「強さ」を形作っていくんじゃないかなぁ。
もっともっと強くなりたい。それでいて優しくもありたい。フィリップ・マーロウを気取るわけじゃないけれど。


もうすぐ夏ハロが始まる日の夜明けが来る。℃-uteの新たな挑戦が僕らの前で形をとって現れる時がくる。
代々木が待ち遠しい。