女と男と音楽と

書けたら書く、くらいの感じ。過剰な期待は禁物です。
(12/11 05:00更新)



saigonobengonin秦建日子

12/4 0:41
明日は「らんTRIO」の最終リハ。役者とミュージシャンの初合流。横山石影の初演武合わせ。「らんの歌」のボーカルさんだけは本業のコンサートともろ被りでお休みだけれど、今はビデオやらファイル宅配便やら文明の利器があるので、それでなんとかなるはず。とにかく、明日が今から超楽しみ。


千葉から帰って目にしたこのツイートで、「行けるものなら行きたいけど、まぁ無理っぽいよね」から「なんとしても行かねば」にタイプチェンジしたわけですよ。


津軽三味線 小山会
三代目 小山豊
立石一海 オフィシャルサイト
プロフィール
山口ミルコさんは元角川書店幻冬舎の編集者*1で、現在の活躍はこんな感じ。
ミルコの六本木日記
山口ミルコのジャズひと観察
書きもすればプレイもする、というところでしょうか。ジャズ方面ということは立石さんのヒキなのか、秦さんがそもそもジャズ好きなのか。小山さんに関しては「秦さんがとある居酒屋でバンドのCDを聴いたのがきっかけ」だとか。

<第1部>
1.「らん テーマ曲」
2.「山道の戦い」〜「月影のバラッド」〜「城、討ち入り」
3.「雨」
4.「夕日」
5.「大殺陣


朗読。美しい女たちの物語。
矢島さん、工藤さん、杉本さん。
ナズナハコベ
役者ってすげーなぁ。こえーよ。


あの男が現れた。
命のやり取りに魅せられた男。本気で戦える相手を求めた男。その剣が光を割り、その槍が闇を突く。


「こんばんは。この国で一番強い男、石影です」


妹のために、一番強くあろうとした男。真に強大な者、悪辣なる者と戦うことなく、それでも己の道を行き、すべてを失った男。
悲しい男たちの物語。


ピアノが謡い、サックスが叫び、クラリネットが唸って、三味が哭く。
あの哀切きわまるドラマと絡み、彩り、うったえるために、これほど似合う楽器も他にあるかどうか。


色が見える。
赤谷の赤い毒水、らんの胸の痣、夕焼け、そして・・・流された血。
『らん』は多彩な赤のタペストリー。
音にも赤い血のめぐり。鼓動、そして脈動。


『らん』だなぁ。


<第2部>
1.「MIssion Impossible
2.「Maniche」
3.「飾りじゃないのよ涙は」
4.「Spain」
5.「Life Goes On」
6.「津軽じょんがら節」〜「風の通り道」
7.「らんの歌」
8.「雨」
Enc.「Thriller」


芹澤薫樹
KO KANZA OFFICIAL WEB SITE 日本語版
これまたすばらしいスペシャルミュージシャンを迎え、リズム隊が加わったバンド構成*2。ジャズがベースになってるということはクレージーキャッツだな。いやトロンボーンいないしピアノも一人足りないだろ。


上妻宏光さんにいわせれば、

(略)津軽三味線は青森で生まれた楽器だから、雪とか風とかいう津軽の風景を思い浮かべてしまいますけど、世界という観点で考えたら、あの音で日本海を思い浮かべる人はいないですよね。それは日本人が持つイメージじゃないですか。



富野由悠季×上妻宏光対談「違う国、ジャンルの人たちとの共演で、三味線の可能性を感じたんです」『教えてください、富野です』(角川書店、2005)P36。『ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 I』(同、2011)に再録
ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 I (単行本コミックス)

ガンダム世代への提言 富野由悠季対談集 I (単行本コミックス)

ということだけど、逆にいえば、日本人がじょんがら節の印象や『風雪ながれ旅*3の世界観から抜け出ることは難しい、ということでもある。そのじょんがら節を交えつつも、いわばジャパニーズ・スリーストリングス・ギターとして映画音楽からニュー・ミュージック、はてはブラジリアン(2、MCより)まで、自由闊達な演奏ぶり。
ジャズ畑のミュージシャンが揃っているだけに、実にスイングしたステージ、見事なアンサンブル。俺が俺がじゃうまくいかないんだよ、ってところは演劇と通じるものがあるのかもね。
何より演奏者が皆「音で楽しむ、音を楽しむ」音楽の真髄を体現してくれる、音とアイコンタクトでコミュニケーションをとりながら、見えない手をつなぎ肩を組んでどんどんボルテージが上がっていく、そのグルーヴ感がたまらない。
ピアノとドラムと三味線が激しくぶつかり合うあの場を演出したのはベースだったな、と今にして思う。


熱を帯びた演奏が、音が、客席のボルテージをも上げていく。アルコールの入った観客も多いのに、羽目を外すことのない、節度ある興奮。
このノリは体験したことがあるぞ、と急いで記憶をたどっていって、その昔「松本文男とミュージック・メーカーズ」が某地下アイドルグループとコラボしたライブを見たことを思い出しました。あれもビッグバンドならではのぶ厚い音、確かな演奏があってとても楽しかったなぁ。
音楽であれ、あるいは映画や小説、演劇でも舞踊でもいいけれど、作り手・送り手・演じ手の気持ちが入り込んでるものって受け手にとっても気持ちのいいものだよなぁ。最近だと『ゾンビデオ』を見た時に感じたような「楽しんでやってます」感が伝わって、こちらを楽しくさせる。
もちろん、入り込み具合では『らん』そのものも他に譲るところがないのはいうまでもない。



そして。


らんTRIO&スペシャルミュージシャンをバックに従えた矢島舞美
なんとなく、安倍なつみが『チェインギャング』を歌った時の姿を思い出した。
とはいえ、「堂々と!」したところはない。赤谷、そして一の村の住人を率いて城に攻め込んだらんのごとき凛々しさ、雄雄しさ、・・・とは似ても似つかない。
極度に緊張すると、矢島舞美さんの立ち姿というのは驚くほど美しさを失うのですわ。必死に緊張とたたかおうとするあまり、脚を踏ん張り、首が前に出て肩が上がってしまう。イメージとしてはこんな感じ。













いわばヤジマンゲリオン状態、あるいは両手ぶらり戦法。そんな無防備な、そこまで気が回りません、的な雰囲気もあった。これはこれで別の魅力がなくもない・・・という冗談はさすがに悪趣味か。
そんな緊張、不安、そして腹をくくる。



詞はイタチの最期のシーンをイメージしているそうだけど、観客の立場でいうと、激しく感情が迸るあのシーンに叙情的な歌曲まで被さったら若干うるさい。
これまでには存在していないものだけど、もしも彼を埋葬するシーン、あるいはその後に最終決戦へ向かうシーンがあったとしたら、そこで流すとものすごくハマるだろうな。そこでは歌が主役となり、セリフはいらないだろう。
というかね、そういうシーンが見えたよ。物語にしっかりと寄り添った、すばらしい楽曲でした。


歌唱はね・・・正直に申し上げますけれど、緊張と、練習する時間が足りなかったのか(楽曲の難しさ、ヴォーカリストの音域とのミスマッチを指摘されている方もいらっしゃる)、初めのうちは何を歌っているのか、1階最後列に座ってた自分のところまで届いてきませんでした。


たとえばこれが鈴木愛理だったら、夏焼雅だったら、高橋愛だったら。あるいは後藤真希松浦亜弥だったら。そんなことも頭をよぎりました。ハロー関連ばかりで申し訳ないね。でも高橋真梨子前川陽子のこいのこ堀江美都子ちあきなおみ、・・・なんてのも違うでしょ。森口博子でも小島麻由美でもないしなぁ。
とにかく、これでは主演者が作品世界をぶち壊すという最悪な展開を迎えかねない。オー何テユーコトナンダロウ。


ところが、曲りなりにも「歌手」としてステージで生きている人、音楽に身をゆだね、一体化することを知っている人はそこで終わらない。1コーラス終わったあたりから徐々に緊張がほぐれたか、少しずつ言葉が、心が音楽と結びついて届いてきました。
僕は古い人間ですから、1988年に工藤静香が紅白に初めて出た時の『MUGO・ん・・・色っぽい』を思い出しました。アレも歌いだしはフラフラで、テレビの前でまぢ頭抱えてしまったけれど、終わるまでには調子を取り戻していたっけ。


薄情なようだけど、こういう場面に立ち会うのも生の楽しみの一つ。昔は某外国バンドの公演で「触ったギターの弦と違う音がスピーカーから出た」なんて都市伝説を耳にしたこともありますが、そういう公演では味わえない。
それに、だ。
不安だらけから始まって、少しずつ自分のものにしていく。それってのは、ヴォーカルをとった主演の人が『らん』という作品、役柄に取り組んだ時間を反映しているようじゃないか。
ヲレの立場としては、それでいいことにする。ヲタク一人がバカみたいなブログで調子のいいことを並べ立てたところで、自己評価が揺れる人じゃない。


現時点での完成度を求める人には、申し開きのしようもない。それこそ立石さんたちの伝手を辿ってジャズ畑のヴォーカリストにでもお願いすれば、一般的な意味で「良い」ものが聴けたと思う。
でも、それが常に最良の結果を生むとは限らない。主役として二度も作品世界を背負った人の重み。そこを汲んでいただきたい。
この経験は、必ず「表現者矢島舞美」を大きくする。その可能性に期待してもらえればと思う。
「あの“舞美ちゃん”が立派になったなぁ」
近い将来そう感じてもらえるような、その境地に至る道のりの途中にいる。それは確信に近いレベルで感じるのですよ。
矢島舞美さんがこの世界に入ってからの9年半、いや、もしかしたら生まれてからの20年弱すべてが、「できないことをできるようにする」「できるまでやる」日々だったんだ。俺たちはそれを知っている。なるほど、この一夜限りという『らんの歌』を再び歌う機会はもうないかもしれない。それでも、これを歌いこなしきれなかった反省をどこかで生かす人なのだ。
日頃つまらない冗談、わからないネタばかり書いて遊んでいる私めのいうことなんか信じなくて結構。ただ、2010年7月の、2011年5月の矢島舞美に「まぁよく頑張ったんじゃないの」程度から上の評価をいただけるのであれば、そんな彼女の未来への「貸し」としておいていただきたく。
借りをお返しする時は、きっとやってくるはず。



2年半前は、単純に「なんかメジャーな脚本家の人が創るものに主演するらしいぞわーい」と喜んだものだけど、それだけで終わるものでなく、役柄が、作品世界がどんどん広がり、また深みを増していく。まさかそんな作品になるとは。「さわりの部分は秦組立ち上げの時点で台本が存在した」というようなことが初演パンフにあったので、秦建日子という作家・演出家にとって大事な作品であろうことは感じていたけれど。ここまで育つとは。それに付き合える俺たちはなんて幸せ者なんだろう。


俺たちは基本すれっからしだから、「これきっかけにテレビや映画に」なんて邪念を持ったものだけど、たとえそういう展開に恵まれなかったとしても、いま感じる幸福感や充実感はいささかも減じるものではない。こういうツイートもあって、それはそれで、また別の話として次の何かにつながっていけばいいなーとは思うけど。



大きな会場で、満員の観客の視線、声援、四方八方からの眩いステージライトを浴びて歌う恍惚感は、この上ないものがあるだろう。
その一方で、300人ちょっとではあるけれど、いちいちくどくどと説明する必要のない理解ある観客と、一つの世界観を共有する。これもステージで何かを表現する者にとっては幸福なことではないか。虚心にそう思える濃密な時間でありました。


ただただ、ありがとうございました。

*1:つまり、ざっくりいうと名編集者として名高い見城徹さんの下にいた人なのね。

*2:ジャズだとピアノやギターもリズムセクションらしいんですけどね。

*3:初代高橋竹山先生がモデル、というのは有名な話。