同じで違ってまた同じ

早くも『戦国自衛隊』DVDの情報が入ってきましたねぇ。










戦国自衛隊 デジタル・リマスター版 [DVD]

戦国自衛隊 デジタル・リマスター版 [DVD]

あ、間違えた。
从−ゥ−从<ハイハイ余裕で読めました
チェッ。


帰還
死守
(ともにTOWER RECORD ONLINE)
[rakuten:surprise-web:10727235:detail]
[rakuten:surprise-web:10727236:detail]
ま、以下ネタバレはあるよ。



同じは違う、違うは同じ。
この言葉を紹介してくれたのは、アニメ評論家の氷川竜介氏。氏もまた大学時代の講義で聞いたそうな。


 筆者は理系大学の出身である。学部生時代にいろんな講義を受けたなかで、もっとも印象に残っている言葉とは、以下のようなものである。


「『同じは違う』『違うは同じ』・・・・・・この意味を考え、学んでください。一見して同じと思えてしまうことの中に、潜んでいる違いを見つけ出す。あるいは逆に、これは違うなと思いこんでいるもの同士を観察し、共通性を発見する。このふたつの行為の中にこそ、真理が潜んでいます。学問とは、それを探すことです」

(“「同じ」と「違う」をひとつにする『Ζ』の新訳”『Ζ BIBLE 『機動戦士Ζガンダム──星を継ぐ者──』完全ドキュメント』氷川、藤津亮太編著、講談社2005、P215)

氏の評論とは『アニメック』からの付き合いだけど、語り口や勉強量、「自分」との関わりを語る際の抑制の効いた距離感など、「俺も本当はこういうのが書きたいのになぁ」と思わされることしばしば。遠い遠い目標の一人でございます。
とはいえ、一方で「バカなことばっかり書いていたい」というのもまた自分の本音なので、まぁきっとこの文章もここからどんどんバカになっていくことでしょう。



ざっくりいって、「理解」とは何か、ということだと解釈するわけで、実際にそうした。
同じように見えるものの相違点、まったく違って見えるものの共通点。これを意識するだけで「視野」が広がるから驚き。
たとえば「××の握手会はじっくり話せるのにハローは高速でつまんない」なんていう「隣の芝はあんなに青いのに」的な言い草*1というのはアイドル業務という「同じ」ところにしか目がいっていない雑な思考だということがわかるし、「ハローはパフォーマンスで勝負してるのだからヨソ様みたいにヲタクに媚びるようなプロモーションは慎むべき」とかいうヲレみたいなのは(爆)「違う」ところだけを強調する視野狭窄、思考停止と判断することもできるわけ。
だから何なのか、というと、


 このように、「同じ」と「違う」ということは、対立した概念としてもとらえ抜くこともできるが、「合わせる」ことでひとつとなすことも可能なのだ。こうした考え方は、一見対立するかのようなものの中に、「合」というゴールを見出す弁証法的なものと言うことができる。

(同、P221)

つまりどっちも楽しめれば最高じゃないかってことだ(笑)。えっ、違う?
我が身の未熟さゆえ、なかなかこういう境地には至れないけど、どちらかだけが一方的かつ絶対的に優位ということもない、くらいのことはわかるつもり。
相対主義? 寛容主義? どちらにせよ気分でいってるだけなので、何かしら明確な主張があるのかと問われれば返答に困る。
けれども、これが「科学」じゃないのか、という気分。事象と学説を比べて「これまでの学説は誤りだったのではないのか」と発想、それを証明する、少なくとも現状認められている学説や法則で証明できないことを示す。その繰り返しが科学的態度だと、そんな思いが頭の中をゆらゆら漂う。科学者足りえぬ腐れヲタクとしてはこのへんが限界。


从;TゥT从<DVDの話題に帰りたい!!
わかったよ丸岡。


℃-uteスマイレージがコラボライブを行ったときにも感じたのだけど、今年の秋冬シーズン前半*2を貫くベリキュー合同プロジェクト、あるいはモベキマスでのCDリリースも、きっと「同じは違う/違うは同じ」のためだろう。そう感じ続けているのです。一緒に「同じ」ことをやる、と見せかけて、実はどれだけ「違う」のかを鮮明にする。だから℃-uteは℃&Sで「並ぶと同じに見える」と厳しいダメ出しを受けた。


帰還を客席で一度、脳内ダイジェストでもう一度見ただけなので確信は持てないけれど、『帰還』の中に「死守」すべきもの、したものの存在は確かにあったし、パンフを見るかぎり『死守』においても「帰還」はキーワードだったはず。両方見た人、あるいはDVDでこれから見る人は、具体的に二つの物語をつなぐ場面だけでなく、そういうところでのつながりを意識するとまた違ったものが見られるんじゃないか、そんな気がする。
ヲレ? どうだろう、正直いってあまりにも評判のいい『死守』に嫉妬する気持ちがないわけでもない(苦笑)。劇そのものに仕掛けられたトラップに気づかなければ、今でも『帰還』の評価は低いままだったろうしね。


もうあまり『戦国自衛隊』について語ることもないだろうからまとめて記しておくと、普段見ていない分Berryzメンバーの印象が強かったかな。熊井ちゃん熊井ちゃん茉麻茉麻だったし*3、みやびちゃんのネコ科系なしなやかさはドキドキもの。
そして菅谷梨沙子。たとえば舞のシーンなんか、こういう場でこういうことをするのは性に合わない、という気持ちが動きに現れていて、やっぱりこの人は歌に限らず「情」を拾う天才だなぁ〜と強く感じたし、こういう人が(一般に販売されているDVDでは)主演した『三億円少女』ってきっと良かったんだろうな、なんてことも頭をよぎった。
℃-uteメンバーは、ヲレの見たかぎりナカジマさんはこれまで見た彼女の役柄と比べても三本の指に入るくらい良かった。基本は『ジパング』(かわぐちかいじ)の柳一曹みたいなもんだけど(笑)、そこから離れたところでは「ヲレもそう思う」ってセリフが多かったせいか、ヲレの目からは一番自然に見えましたね。
そして我らが矢島舞美さんは、ああいう役どころではちょっとオーバーになりすぎてしまう。ベタだけど『噂の刑事トミー&マツ』(TBSだ!)の岡野富夫のようにスイッチが入るとものすごい格闘術を見せる、なんてのでメリハリを利かせても・・・とも思ったけれど*4、それだとどんどんテイストが違うものになっていったかな。ぶっちゃけ自衛官5人は主役じゃなかった、という見方だってできるわけだし。



王様ゲーム』はおいといて、合同コンもBerryz工房℃-uteの「同じ」と「違う」がくっきり出るものになっているといいな。何しろ同期なだけに、どうしても「同じ」ものと考えたがるファンが多いように感じるから、まずはそれぞれの魅力の違いを鮮明にした上で、通底するものを感じ取れる。そういうコンサートになってくれたら素晴らしいことだと思う。



 事実、映画の中におけるドラマツルギーにも、対立(葛藤)の弁証法的発展と解消が重要とされている。AとBの対立が物語を発生させ、AとBに表面的な勝敗・決着のゴールをもたらすかもしれないが、その帰結としてAはAでいられず、BもBではない何者かになる。AとBとの新しい関係性樹立が観客のエモーションを共感で刺激し、生理的に解放したときに、それがカタルシス(浄化)に昇華する。

(同、P222)

演劇でも、対立軸が用意されたコンサートでも、もしかしたらCDだって同じはず。
彼女たちの明日につながる昇華。それを見ることができたら最高に幸福だろうな。

*1:通年で芝を青く保つのはJRA馬場造園課をもってしても大変だそうなので、そこは高く評価しないといけません。

*2:年またぎはないだろう・・・と思いたい。

*3:何だそれ、といわれても、ヲレにはこれ以上書きようがないのだ。ごめんなさいね。

*4:それによって「ああこの人たちは訓練された戦闘のプロなんだ」という印象を与えることもできたんじゃないかなぁ。