なぜ
CoCoは貼らない(笑)。あれもライブで盛り上がって大好きな歌だけどね。
この管理社会において、競馬があるから息抜きができるのである。それは、馬券が介在しているからである。だから、若者は、さまざまな不満を抱えながらも、爆発することなしに、かろうじて生きている。生きていられる。
もしかりに、馬券を売らなかったら、人々は競馬を見ることができるだろうか。できる、と思う。そして、同時に、どこかで賭け屋が店を開くのを捜すと思う。だからといって、国がギャンブルの元締めであることを認めているわけではない。元締めなら元締めなりのマナーがある。
まったく、どいつもこいつもエバリくさって・・・・・・あげくの果てにはナントカ課長あたりまでふんぞり返りゃがって・・・・・・だれのおかげでニンジンを食っていられると思っているのか。
そういった様々な怨みを胸に抱きながら競馬場に行く。管理する側にはロクなのがいないのはどの世界でも同じである。では、なぜいくか。
馬がいるからである。
こいつらには罪がない。この者たちだけは許せる。何の因果か競走馬に生まれ、より強く、より速く走らされることを運命づけられ、そして、その九十九パーセントの馬が、ターフを去ると、使役馬となり、肉となる。数年間の短い人生を、ターフで燃やす馬がいる。だから、出かける。
競馬狂想曲―ターフによせたラブレター (広済堂文庫―ヒューマン・セレクト)
- 作者: 阿佐田哲也
- 出版社/メーカー: 廣済堂出版
- 発売日: 1989/07/01
- メディア: 文庫
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この格差社会において、アイドルちゃんがいるから息抜きができるのである。それは、商売が介在しているからである。だから、若者も中年も、さまざまな不満を抱えながらも、爆発することなしに、かろうじて生きている。生きていられる。
もしかりに、CDや生写真やグッズを売らなかったら、人々はアイドルちゃんを見ることができるだろうか。できる、と思う。そして、同時に、どこかで露天商が店を開くのを捜すと思う。だからといって、事務所が商売の元締めであることを認めているわけではない。元締めなら元締めなりのマナーがある。
まったく、どいつもこいつもエバリくさって・・・・・・あげくの果てには流しのバイトあたりまでふんぞり返りゃがって・・・・・・だれのおかげでメシを食っていられると思っているのか。
そういった様々な怨みを胸に抱きながら現場に行く。管理する側にはロクなのがいないのはどの世界でも同じである。では、なぜいくか。
アイドルちゃんがいるからである。
彼女たちには罪がない。この者たちだけは許せる。何の因果かアイドル稼業に手を染め、より愛らしく、より上手に歌い踊ることを運命づけられ、そして、その九十九パーセントの女子が、ステージを去ると、妻となり、母となる。数年間の短い青春を、ステージで燃やす女のコがいる。だから、出かける。
そんな気分も、ないわけじゃない。