ドキュメント俺

劇場で見ましたわ。もちろん目的は『ザブングルグラフィティ』の方でしたけど。
从;・ゥ・从<今日はダグラム
これでも富野信者なんだけどね。
そんなわけで生存報告。



ラーメン店でピザを頼んでどーすんだ、という気持ちはあるのだけど、俺はこのラーメン店の大将が焼くピザが食いたいんだから持って来い、という客がいるなら対応だって考えるよねそりゃあ。「高菜、食べてしまったんですか!!??」がいつでも通じるとは限らないわけだし。ヲレは完全にそっちのタイプだけど(苦笑)。柔軟な対応ってのは苦手だわ。つまり偏屈な老人なのよね。だから堅苦しくいくよ。



ヲレも含めて、取扱品目の多いコンビニや家電量販店の存在が当たり前になっている現代というものの影響は大きいだろうね。そこに行けば どんな夢もかなうと言うよ ちょっと専門的(またはそれ以上のレベル)なものでなければ大抵のものは揃うのだから、利便性と安心感を同時に満たせる。だからアテにもする、これは業界を席巻するよね。


だけど、専門店の良さっていうのを積極的に見出す心があってもいい。といいつつ、わが町のような田舎だと最先端をいくのが個人経営の電器店で、洗濯機の調子が悪いとなれば下水の面倒まで見ていったりもするのだから、専門店が専門分野だけやってりゃいいって時代は田舎レベルでも、いや辺境だからこそ終わっているのかもしれないんだけどね。そういや勢いのある家電量販チェーンってなぜか本拠地が北関東だよね。


それでも高度な専門性ってのは憧れちゃう。それはもしかしたらアイドル商売とはかけ離れているのかもしれないけれど、なぜだろう、その業界の話をしているつもりなのに、この話の方向性はこれでいい、という確信のようなものがある。



先日更新もツイートも控えた時間帯があって、その間何をしてたかというと、手の届くところにある本を片っ端から読む、ということもしていた。あとはナイショ(笑)。
それらのなかに「マクドナルド襲撃」という話がありまして。
世界中で同じことやってるんじゃねーよ。
そういう怒り、苛立ちというものを持つ人もいるのだそうだ。
犯罪行為は推奨しないけど、たとえグローバルなレベルで成功した方法論であろうとも、世界が一つのものに塗りこめられていく気持ちの悪さ。それを感じることができる鋭敏な感性というものは、向ける方向によってはとても大事よね。


多様性を認め、楽しみ、愛する。
いや、そもそも多様であることが認められてなければ二項対立さえありえないわけなんだけどさ。
色々ある。原則だけでいうと社会的には全部あり。なぜなら我が国の憲法では結社の自由が保障されているからね。あくまでも原則の話だから実社会に通用するかどうかは知らないよ。
残るは個人としてどうか、「俺にとってアリかナシか」なので、最終的にそれを決めるのは100%自分の価値観しかありえない。
ただそれってのは環境とか文化とか教育とかに左右されるわけだから、人生においてどんな社会的影響を受けたのか、悪くて大げさな表現をすると何に洗脳されて生きてきたのか、ということに尽きる。オリジナルな思想や哲学で生きている人ってのは圧倒的少数だろうと思われるので(例によって根拠はないし調査もしていない)、僕らのほぼ全員は生きる過程において何らかの洗脳を受けてるわけだよ。それが社会的に認められたものであれば「常識」とか「教育」と呼ばれるだけの話であってさ。だからどんなに偉そうなことを語ったとしても誰かのパクリ。偉くもなんともない。調子に乗るな。まずヲレがだ。


順調に脱線しているね。でも「方向性は100%間違っていない」と感じるのはなぜだろう



「誰も知らない、知ってても偉くない」
って言葉がすごく好きでしてねぇ。確かムック時代の映画秘宝あるいは兄弟誌のどれかに載ってた言葉だったと記憶してるんだけど、部屋から出てきた『悪趣味邦画劇場』『男泣きTVランド』『夕やけTV番長』『まんが秘宝・ぶっちぎりヒーロー道(ロード)』『同・まんがチャンピオンまつり』のどれにも載ってないみたいだから、きっと今日は行方不明になってる『同・つっぱりアナーキー王(キング)』だな。どうでもいいか。


以前流行ったトリビアなんてオサレなものとは程遠くて、明日使えるどころか永遠に使えないであろう本当のムダ知識。いや知識でもないな。生きていない情報。
それでもそういうものをどれだけ持っているかが内的財産・・・とかカッコつける気は一切なくて、ただ毎日外からやってくる情報と自分の中にある情報がどう結びつくのかが自分でもわからなくて、だからこそ真剣に面白いから楽しんでやってます。この歳まで残っているのだから、少なくとも自分にだけは価値のある情報、というかほとんど自分自身なのかもしれない。


こういうものをWeb上に残しておけば、そう遠くない将来に読み返して「バカだねぇ」と爆笑しつつ、自分を好きでいるまま死んでいけるんじゃないかなー。そんな気分もないではない。
好きになろうとしないと、ヲレの場合すぐ自分のことが嫌いになるからね。いや今でも「目の前に俺自身がいたらためらわず殺す」ってくらい嫌いなんだけど、だからこそ好きにもならないとバランスとれなくて生きるのがつらくなるだろうよ。


前半とつなげる画期的な文言を一度思いついたけど忘れた(苦笑)。でもつなげないと終われないよねぇこれ。


昨日マニュアルとかテンプレートという単語を出したけど、これが知(あるいは智)に磨かれると「型」というものが出来上がる。良く出来た「型」には一切の無駄がない、らしい。
型にはめる、というとあまりいいイメージを持たれないけれど、僕の解釈ではほぼ「基本」「基礎」とイコールであって、迷った時に戻れるもの、という積極的で肯定的なイメージを持っている。むしろこれを持たないからマニュアルに頼ったりテンプレートをそのままなぞったりという創造性のない代物が出来上がっちまうんじゃないの、みたいな。


型にはめるから新しいものが生まれない、のではなくて、「身体で覚える」ところまで型というものを徹底的に自分の中に叩き込んで、それで初めて「これにはいつでも戻れるから違うことやってみようか」という独創的なアイディア、すなわち「型破り」が生まれるのかもしれない。その順番を間違えたものってのは、所詮はルールを破っただけで何かに勝ったつもりでいるような、お手軽な跳ねっ返りのパチモンでしかない。ヲレはそう思うのだけどね。


型、それを生んだ歴史や伝統、逆に時代の集合愚(集合知というものがあるのならその逆もあるよね)。そういうものに埋もれない、立ち向かっていける自己を構築し主張してこその個性、オリジナリティよね。その境地に達しちゃう人ってのは歴史に残るレベルだろうから、そうそういるものでもないけどさ。
でも、そういう人は今この時代にもいて、それぞれの場所で頑張っているのだろうな。もしかしたら自分が頑張っているのだということを知らずに。


そういう人の仕事を素直に、虚心に受け止めて賞賛できる審美眼を持ちたいものだねぇ。なぜかオリンピックと高校野球とか「情に訴えるアマチュア」が大好きな国民性というのは僕にだって影響を与えている(そう、洗脳されている!)はずだから簡単なことじゃないけれど。


いやまぁアイドル業界こそが長いこと「情に訴えるアマチュア」でいいんじゃねーのとやってきたわけだから、そこにドップリ浸って生きているヲレがいうことじゃないんだけどさ。
「あなたたちはプロなんだから」
メジャーデビュー前の小中学生に大人がこう言える(ちょっと一曲のVol.1だったと思うけど、持ってないから記憶が曖昧だw)プロジェクトが現れて、それだけの基礎──「型」かもしれない──を身につけた構成員の優れた芸を楽しめる環境ってのが今あるのだから、これは大事にしないといけない。
アイドルと呼ばれる業態においてアマチュアからプロフェッショナルへと脱皮する。こんな「型破り」もないでしょ。
かにょん先生が連呼するまでもなく、革命はとっくに進行中なのだ。


革命ってのは世の中をひっくり返して終わりじゃなくて、一度ひっくり返したら永久にひっくり返し続ける、革命を革命することが必要になってくる。そうじゃないと、かつての革命戦士がいつの間にか体制側で現場監督だマッチメークだナニコラタココラだ、なんて話にもなってくる(笑)。
で、革命の革命ってのは「じゃあ昔に戻しましょう」とかいういい加減な話じゃない。常に「我に正義ありや」と検証する作業が必要になってくる。これがめんどくさい。だから失敗するんだけどね。
この革命はまだ終わっていない。終わらせたくない。
転がる石に苔むさず。動いているかぎり終わりはない。



前半というより昨日のエントリとつながったからこのへんでやめておこう(笑)。明るいうちからこんなしょーもないものをダラダラと書きなぐってこんな時間にまでなってるんだから、わかっちゃいたけどヲレってのも相当のバカでヒマ人だよな。