夢見て走る死の荒野
かれこれ一ヶ月くらい前から書いたり消したり書き直したりしてきたものなので、『らん』を見た今の気分とはちょっとそぐわないものもあるんですが、このままボツにするのも若干もったいないので、インターネットを倉庫代わりに使ってみるものナリ。
まとまらないものをまとまらないままに書いたので、長ったらしくてひどく読みづらいものになってしまった。忙しい人には不向きです。
ブログやTwitter、USTREAMなどによって、演者あるいはスタッフと我々がほぼダイレクト的なコミュニケーションをとれるようになっている世の中じゃないですか。我々もUSTREAMや動画共有サイトへの投稿などによって「演者」になれるわけで、送り手−受け手の垣根が低くなっているのが現代であるわけです。
恐ろしい話だなーと思うわけですよ。僕が古い人間だということも大きいんでしょうけど。
インターネットを通じてこれまでとは比較にならないほど直接的に働きかけられるようになった。それは「いつも応援してますよ」とメッセージすることでモチベーションを上げるきっかけにもなれるけど、逆に「お前なんかやめちまえ」とメッセージすることでモチベーションを下げることもできる。彼女たちは「愛される」ために仕事をしていて、スタッフにしても原則として彼女たちがより多くの愛情を受けられるようにすべく調えていくわけだから、どれだけ支持されているか、ということには非常に敏感なもの。
つまり。
我々はこれまでより容易に、かつ確実に、アイドルを殺すことができるようになった。
イヤな世界になっちまったなぁ。
やっぱり人類にインターネットは100年くらい早かったんじゃないのかな。いや、きっと「システムに使われずシステムを使いこなす」人類になるにはきっと100年くらいかかるだろうから、それを考えるとベストなタイミングなのかな。
ともかく、根拠のない万能感に浮かれるのはほどほどにして、僕らはもっとネット上での発言に際して「恐る恐る」という気分を持ってもいいんじゃないかと思う。
自分の正しさを、主張する前に疑おうよ。それは誰を幸せにするための言葉なのか、をほんの2秒間考えるだけでもいい。
自分しか幸せにしない言葉って、寂しいよね。
最近の業界事情的な部分においてどうも釈然としないことがあって。
まるで昔懐かしい「東西冷戦」のごとく仮想敵を設定して、それを潰してしまおうという雰囲気や動きがあって、さらにそれを煽っている者がいるような臭いを感じるのよね。
そういうものなのか?
リアルで仕事をしている人は自分の仕事を思い浮かべていただきたいんだけど、大抵の業種には「同業他社」「商売敵」っているじゃないですか。
もちろん熾烈な競争はある。だからって同業他社を潰しにかかるってのは・・・社会と関わりがないんでよくわかりませんけど、普通にあることなんでしょうか? むしろ同業他社ってのは、自社の向上心の源となり、また業界をともに盛り上げていくために必要なものじゃないかなー、なんて思うんですけどね。
体力を削いで吸収合併しちまおうぜ、って雰囲気でもないし、不思議な話だわ。
しかも何か「歯科と眼科と小児科のケンカ」みたいなトンチンカンなものにも見えるんですよ。意味がわかりません。田舎に住んでるとしみじみ感じるんですが、地元の開業医って地域医療にとってはすごく重要で、総合病院に同じ診療科があるからそれでいいじゃん、ってわけにもいかないんですよね。個人的な実体験として、脂肪肝の件では「地元のクリニックと相談してください」っていわれてるし。
たとえばここに、
ウオッカ
ダイワスカーレット
スリープレスナイト
ホクトベガ
ノースフライト
・・・を擁する厩舎があったとする。これだけのメンツが揃っていれば、芝でもダートでも短距離もクラシックディスタンスも、もういくらでも大きいところを狙い放題。
ところがこの厩舎に対し、どこかの新聞社が「弊社杯(GIII)に出走しないとは何事だ」という記事を載せたとしたらどうだろう。責められるのは新聞社だと思うわけ。
・・・予想通りわかりづらい例え話になっちまった(汗)。
ハローの強みは、大所帯であること。
人数だけで考えればもっと多いところはあるけれど、OGやエッグを勘定に入れずとも「モベキマス」というそれぞれの個性を持った5枚の看板がある。
その個性に応じて、たとえばアイドル稼業とは切っても切れない関係にある「時代」との関わりでいうと、
「時代を引っ張るべく果敢に仕掛けていく」
「変化を敏感に追う」
「急激な変化の次に来る緩やかな変化を逃さず捉える」
「不変(と思われる)ものを追求する」
・・・という風に、競走馬を適距離・適コースに出走させていくがごとく、色々な方法論をそれぞれに追求できる強みがあると思える。
単一のモノサシでなく、各々の適性に合ったところで勝負できるというのは、僕らが考えている以上に大きいんじゃないかな。
いわゆる「アイドル」稼業に従事する女のコたちには、ユーザーから様々な夢が託される。
今、僕がハローに託す夢は、
「どこにいて何が起きようと、正しい精進によって身につけ日々鍛え続ける芸は誰の支配も受けず、一生自分の武器に、そして軸になる」
「人気は逃げる、実力は逃げない」
という神話の継承。それこそ、
「数字は持ってないけど芸なら持ってます!」
みたいな半分自虐込みのプロモーション(なのかそれはw)を堂々と仕掛けられるくらい。
実力は逃げない、っていうのは「下手は下手でしかない」ということでもあるけれど。
演者と観客との垣根が曖昧になっている今だからこそ、素人が形だけいい加減に真似たバッタ物でない、確固たる芸を身につけてほしいなーと思うのさ。
なんだかんだいっても芸の世界だから、芸のある人が生き残るはず・・・という予測は80年代の半ばすぎにもあって、でもその後「芸」の時代が来たのかと問われれば、返答に困るのも確かなんだけどね(苦笑)。
「芸」を身につけるのがハローである必要もないっちゃあないんだけど、その到達点に一番近いところにいるんじゃないかという気はするのよ。贔屓目をこれでもかと盛り込んでるのはいうまでもない。
ネットを活用した「企画」を通して各々の魅力的な「パーソナリティ」を伝えつつ、「芸」が求められる場では文句をいわせないものを出してみせる・・・そうなれば理想だなぁ。このセンテンスにおいてカギカッコでくくったものが密接に絡み合って相乗効果を発揮して、それが楽しさや面白さ、受け手にとっての魅力につながっていくと思うのね。
最近のハローがどうも演劇やドラマ、映画と何かと演技づいているのも、実に興味深い。ぶっちゃけ劇団その他の収入や注目度を増す客寄せパンダが期待されている面は否めないだろうし、本分はあくまで「歌手」であるというスタンスは変わらず、表現力の向上を目指してのことではあるのだろうけど、タナボタ的に別の効用(?)が出てきたと思うのよ。
歌関係の興行においては、お祭り騒ぎでパーッと盛り上がることに長けた観客(苦笑)が多数押し寄せる。なんだかんだで盛り上がってしまうから、なんとなく「これでいいのかも」と送り手が、時には演者までもが考えてしまう危険がある。楽しいんだけど、よほど強い向上心を持っていないと(持っているとは思うけど)楽しさに溺れて進歩が止まるよね。
狙ったのかどうかは別として、お祭り騒ぎのそぐわない場での仕事でどれだけの観客の心をつかみ、熱くさせることができるか、外部の作家や出演者といったプロフェッショナルたちを納得させるものが出せるか・・・という試金石としても機能している(かもしれない)。そういう副産物が生まれている(かもしれない)。それは頭の隅に置いておきたいですな。
そして、この機会を逃さず、何もかもを貪欲に吸収し、急速に成長していってるメンバーが現れてきていることも。
大衆を煽り、狂騒を演じさせて一儲け。最前線の兵隊は戦って疲弊し、敗れたものは生き残れないというのに、戦いを引き起こした張本人たちは私腹を肥やして生き延びる。そして、またいつかマッチポンプで争いを引き起こす。
そういう商売人のことを、「死の商人」と呼ぶ。
「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」とか「ダーク」、あるいは原作萬画版の「ショッカー」・・・何かそういう石ノ森章太郎的な悪の結社を思い浮かべちゃうのがおっさんの癖ですが、それこそ東西冷戦とともに消えた存在かと思っていたけど、思わぬところで生き延びていたんだね。
そういう死の商人にさんざん煽られて、もはやカウントする気にもなれないほど大勢の女のコたちの青春をいたずらに消費し、ポイ捨てして省みることなく、結果「冬の時代」を呼んでしまったのかもしれない僕ら、いや僕は、さしずめ「死の消費者」だろうか。『センチメンタル・ジャーニー』(松本伊代)の歌詞(作詞・湯川れい子)に込められたアイロニーに気づくまで、無駄に時間を過ごしてしまった。
今さらどうにもならないのかもしれないけれど、いくばくかの反省をもって、未来のために願う。
そんな歴史を繰り返してはいけない。たとえ、
『黒い幽霊』ヲ殺スニハ 地球上ノ人間ゼンブヲ殺サネバ ナラナイ
ナゼナラ『黒い幽霊』ハ 人間タチノ心カラ生マレタモノダカラダ
人間ノ悪ガ ミニクイ欲望ガ作リアゲタ怪物(モンスター)ダカラダ!
黒い幽霊団総統(サイボーグ009「地下帝国ヨミ」編より)
サイボーグ009 地下帝国“ヨミ”編 (講談社プラチナコミックス)
- 作者: 石ノ森章太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/29
- メディア: コミック
- 購入: 3人 クリック: 23回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
そんな我々の宿業だったとしても。いや、それならばなおのこと、僕らは僕らの幸せのためにもそこを乗り越えていかなきゃいけないような気がする。
あちこちからグループアイドルばかりがいっぱい出てくるのって、リスクマネジメントという部分が大きいんだろうなと思う。人気の上がらない者、育成方針とフィットしないものはどんどん切って、入れ替えていこうという目論見を感じないでもない。というかそれしか感じない。「そもそも育成なんて考えてないんだろうなぁ」と見えるものだってないわけじゃない。
僕がまだ幼かった頃の業界には、たとえスローガンだけでも「第二の山口百恵を」「第二の松田聖子を」という熱意があったものだけど、最近はそういうスター、業界を担い、時には変えていく人材を育てようという意識が希薄なんじゃないか、むしろ逆に「業界が変わるようなスターが出てこない仕組みを作って、永遠に闇将軍でおいしいところをいただこうぜ」みたいな空気さえあるんじゃないか。そんな風に感じることもままあるわけさ。
どこか違うところに目がいってる大人たちの都合で、夢を持ち、愛を求めて扉を開いた乙女たちがどんどん殺されていく。寒い時代とは思わんか?
ヲレたちは思わず浮かれちゃってるけど、戦うのも、敗れて死ぬのもヲレたちじゃないということを考えれば、調子に乗っちゃいられないはずだよね。
どんな国民的スーパーアイドルが現れたって、ヲレたちが変わらなければ寒い時代が続くだけでしょう。それは決して愉快なことじゃない。
根拠はないのだけれど、この、表面を飾る惹句だけは一丁前だけど実体に乏しい、ダシの足りないスープを飲めと強要されているような狂騒あるいは競争が終わったとき、僕らが楽しく遊んでるこの世界は「焼け野原」になっているような気がする。演者もユーザーも疲弊して、立ち上がれなくなるくらいの。
危険な兆候はすでに現れているんじゃないかと思う。何だろう、新しいように見えて、一歩踏み込めば世界(業界)は1970年代、あるいはそれ以前と悪い意味で何も変わっちゃいないんだな、と思わせる出来事がいくつか出てきている。そんな風にこのおっさんの目には映るんだけど、どんなもんでしょうかね。勘違いであることを祈りたいけどさ。
巻き添えをくいたくないから、できるだけ疎開したいものだね。そしてどうにかこうにか生き延びて、もしも本当に焼け野原になってしまっても、そこに花を咲かせたいね。
他のビジネスと同じく(かどうかは知らないけれど←ヲイ)、この世界だって一皮剥けば血も涙もない。
だけど、もしもそんな世界に熱い血潮とさらに熱い涙を、たとえ一時的だったにせよもたらすことができるとしたら。
その役割は、本来ビジネスのことなんか考えなくてもよくて、とにかく「楽しむ」ことだけをひたすら追求する僕らが担うのかもしれない。というより僕らのほかにその任に適したものはいないのでは。そんな夢もたまに見る。
誰かヲレを止めてくれ。
あ、やっぱ結構です。
時は戦国 嵐の時代
でっかい心で生きようぜ
(オ゚Д゚)<フジ丸〜♪ 从・ゥ・从<フジ丸〜♪
(オ゚Д゚)<フジ丸〜♪ 从・ゥ・从<フジ丸〜♪
(オ゚Д゚)<NOAH〜のフジマルふーくーしゃーちょーおー♪
从TゥT从<まだ選手紹介に三沢さんがいるとか泣けるわ・・・
うむ、いい感じにぶち壊し(苦笑)。