その名が101

今日のなんばHatch公演、昼公演が℃-ute単独コンサートとしては100公演目だったそうな。



自分が入った公演が2割もいってないことに驚いた。
常々「℃-uteは俺のために歌ってる」と調子こいてる割にはずいぶんとしょっぱいこって、まことに面目ない。



汗にまみれ、涙を流して築き上げた、血の通った場所。
時に打ちのめされ、翼折れても、歩を進めてきたからこその節目。
辛抱の木には甘い実が生ると申しますが、僕の得意分野に引っ張り込むなら、ひたむきに走るコにはゴール板が微笑んでくれる、だからまだまだ生きられる、みたいな。


世の中ってのはよくできていやがる、と思うのはさ。
この100回目の公演が昼公演だったってことさ。
その日のうちには101公演目となる夜公演があった。つまり、感傷に浸る間もなく「次へ進む」ことをやらなきゃいけなかった、名実ともに「通過点」だったわけよ。
立ち止まるなよ、というメッセージを仕事そのものが内包している。
そんな幸せな仕事をしているプロフェッショナルってのは、そう多いものでもないはず。NHKは何をやっているんだろう。


どこで書いたかつぶやいたか忘れたけれど、℃-uteが宿命的に持つ悲壮感とか重たさというものは、恐らくはショービジネスの世界においては邪道であって、現代日本の大衆の志向にも合わないと思う。浮世の苦しさを一時でも忘れさせてくれるような、心浮き立つエンターテインメントの方が受けやすいんじゃないかと思う。


でも、だからこそ、好むと好まざるとに関わらず荒波に身を置き、それに揉まれながら懸命に航海を続ける姿に感銘をおぼえ、微力ながら何かの役に立ちたいと船に乗り込む人々にとって、この℃-uteという船は絶対に沈めてはならない、どうしても必要な存在なのだと思う。


从・ゥ・从<真の漢になりたければ、俺の艦(ふね)に乗れ


甲板掃除でも何でもやりますよ矢島船長。いや艦長? どっちでもいいや。



航海はまだまだ続く。