大妄言の小さな俺

いぬいぬさん

おニャン子以降思考停止してしまっている人たちに対して、「ハロプロはパロディ」と明示することによって実は『本物』を見せているのかもしれない

形骸化した後の時代ではパロディというクッションを挟まないと『本物』を見せられなくなっている・・・んでしょうかね。カバー路線もその方法論の一つかも。嫌いじゃないけどめんどくさい時代だしめんどくさいユーザーだなぁ(苦笑)。

クリエイターとしてのつんく♂さんは素晴らしい人だと思います。ただ、人を動かす前に自分でやっちゃうタイプなんですよね。いや、周りは使っているでしょうけど、結局最後には彼の手柄になっちゃうところがね...もうひとつ下の階層に何人か顔の見える人がいて、その人がやっている感が伝わらないと、これからは難しいかな。

ゼネラルプロデューサーになりたいのか、それともソングライティング職人になりたいのか判然としないんですよねぇ。名誉欲というか「人から褒められたい」気持ちが強い人だってのはわかるんですが。
そろそろ年齢的にもキャリア的にも周りをうまく使って「あの人もこの人も実は♂一派」とか「なんだかわからないけどすごい人」というイメージを獲得する方向へいきそうなものですが、そこまで至らないのは浮き沈みの激しい世界を体感してるだけに「自分の運命を他人任せにできるかよ」って気持ちがあるのかもしれませんね。

でも、アイドル歌手って年齢の壁を作る必要あるのか?...のは、いつも感じるところなんです。スポーツライクに例えると、フィジカル面で脂の乗り切っている年齢なんですけどね。

僕はいわゆる「アイドル」のセールスポイントの一つに「未熟(未完成)である」ことがある(ことにされている)と思っているのですが、年齢を重ねると成長・成熟し、またキャリアを積むことでスキルも上がっていくことは避けられないわけで、単純な年齢の壁というよりは人間(女性)として、およびタレント・アーティストとしての成熟度が壁になるのかも。
あとは見る側の飽きる飽きないの問題。何度も「再結成」をやるSPEEDのやり方は好きではないですが上手いと思います。あ、アリスもか(笑)。


成熟しスキルアップしても「アイドル」でいる・いられる人というのは、男性だと新旧御三家やジャニーズはじめ枚挙にいとまがないくらいですが、女性だと松田聖子さんくらいでしょうか。最近は麻丘めぐみさんなんかもやる気を見せてるらしいって話も小耳に挟みましたけど。
聖子フォロワーを現代にもってくること自体は何とも思わないのですが、やるならやるでカタチじゃない部分こそがキモなわけで、「なぜ彼女はアイドルであり続けられるのか」をしっかり押さえて長期的なビジョンを持って取り掛からないと出落ちネタで終わっちゃうんですよね。℃-uteでいうとキューティークイーンのジャケ写の鈴木愛理を見て「今その髪型!?」とビックリしたのを覚えています。

つんく♂さんが大人の曲でヒットを飛ばせないのも、それを助長している原因かもしれない。

「大人の女」を描くのは苦手なんでしょうね。だからたとえば今のメロン記念日なんかには絶対に合わない。少年期的な女性への憧れを持ち続けているというか、「父親になっても童貞の心を忘れない」と呼んでおります(笑)。



『趣味としてのアイドル』という方向を少し考えてみます。白状するとけっこう耳の痛い話だったんですが。

手が届かないことを知っていながらも、気が狂うくらいになるほど好きになって、その子が辞めたり結婚したら、もう今にも死にそうになるくらい辛い...みたいなのは、わりと最初の頃だけで、徐々に(抵抗力の強い人だけが)『趣味としてのアイドル』に移行していくんじゃないかな。


でも、その過去を呼び覚ます何かがあるのかもしれません。

経験があるだけにわかる話です。今もかなり常軌を逸してますけれど。
抵抗力もさることながら「魅力的なのは○○ちゃんだけではない」という何らかの共通項に波長が合うかどうか、という考え方もできると思います。DD気質とでもいいましょうか。
僕の場合は隠れて推してた人(というのも廃れた様式ですな 苦笑)にリアルで亡くなられてしまった経験があり、二度と会えなくなる事態が突然やってくるたびにその記憶が蘇るわけで、そういう意味でも℃-uteは「過去を呼び覚ま」してくれます(泣)。何度経験しても慣れるもんじゃないですなぁ。いやそういう話じゃない。
村上ちゃんの時には、℃-ute単独のイベントに初めて足を運ぶ直前だったという程度の薄い興味だったのに、まるで1986年4月のように落ち込みました。有原ちゃんの件も含め「(リアルでも比喩的な意味でも)アイドルが死んでしまった悲しみやつらさを抜けるのにも僕の場合はアイドルが必要だった」という過去もまた呼び覚まされているので、

あるいは『本物』に触れたのか?

というのを措いて考えても℃-uteには「何か」があるんじゃないかと思うのです。ウォッチャーの方向にかなり傾いてた僕が、ただ無心に憧れや慕情を抱いていた小中学生の頃の「好き」に無意識に引き戻されていたほどのものが。
既存の「アイドル」の枠から外れることで、逆に大事なものを得たのかもしれない。そんなことを今思いつきました。思いつきなので根拠はありません。説得力は考慮しません。

ただですね、多くの人は「俺もう30歳になったから、この子が終わったらヲタ卒するよ」みたいな感じにはなっちゃう。でも趣味ってそうじゃない。「俺もう30歳になったから釣りをやめるよ」ってのはちょっと考え難い。

方法論とか価値観とか美学なんてものは他人が口を挟む類のものではないと思うんですが、個人的には「ここまで」みたいなラインを設定しちゃうのっていうのは「いつまでもハンパしてらんねーから族抜けるわ」って言われるような気分で(また昭和な例だね俺も)、「自分がハンパだと思うなら今すぐ辞めろ、好きなら一生走れ」みたいな気分になります。そんな経験はないんですけど。
ただ、「このコ(たち)で最後にするから悔いの残らぬように」と思い定めた人のエネルギーやパワーというのは、本質的に糞DDである僕には真似のできないものがあって、なんとなくリスペクトしていたり逆にライバル心を抱いたりしています。
でもやっぱり「1993年の有馬記念、スタンドにいた俺の目の前でトウカイテイオーが先頭に立ってさぁ、馬券は外したけど感動したなー」みたいな感じで、10年後も20年後も今いる仲間全員と現場やネットで交流したいです。


ファンに限った話じゃなく、実際にアイドル稼業をやる女のコたちにも似たような意識があるんじゃないかなーと感じていた時期があります。「どのへんで『一丁上がり』にするか」が頭のどこかにあるんじゃないかと。やる方も趣味化していた。いや今でもしているところがあるのかな。順応性の高さも「今だけのことだから」なのかもしれません。
℃-uteに限らずハロプロのコたち(しかわからないんですが)には、
「この道がどこにつながってゴールがどこにあるのかわからないけど、とにかく目の前の小さな目標に向かって突っ走る」
「一つの山を登ってみたらもっと高い山があることを知ったんでまた登る」
みたいな、芸能でありながらスポーツのような、あるいは限界まで誇張するなら求道者とも呼べるくらいのものを感じます。「かわいい」を追求する道重さゆみとか嗣永桃子なんて凄味すら漂わせていたり。僕の好きな「かわいい」は中島早貴的なものなので波長が合わないんですが(苦笑)。
確かに学業優先その他の理由で辞めるコは出るんですが、みんな「もう走れません」みたいな雰囲気を漂わせて、余力を残して一丁上がりってタイプはほとんどいないですよね。本当に余力のある人は復帰してくるし。不思議といえば不思議な話ですが、辞めるまでの奮闘ぶりを見てるからそう感じるんでしょうか。


『趣味としてのアイドル』が失敗した要因には、大衆文化として成熟し根付く前にそちらへ走ってしまった、ということもあるでしょう。根付いていたら趣味としても確立して、なんとなくのいたたまれなさや後ろめたさ、その裏返しの開き直りでイヤ〜な空気がつきまとうようなものにはなっていなかったはず。
30代後半から上の世代だとこの世界との付き合いが長いだけに色々な「負の歴史」の記憶もあって、それが「一生の趣味」とすることを邪魔しているのかもしれないと思うことはあります。だから若い世代にもっと出てきてもらいたいですね。若い奴らがいないと実はおっさんの存在価値も薄れるし、順番からいえば僕らは女のコたちより先に骨になっちゃうので、○○ちゃんが今わの際に昔を思い出して「あのお客さんたち一人も残ってないんだろうな・・・」なんて寂しい思いはさせたくない。そんなシチュエーションないと思うけど。
そのためには自由になるおカネの少ないU-18世代が気軽に接触できる装置が用意されてないといけない。エッグうんぬんもそうですが、経済的負担がもっとも少ないのがオクで定価割れのコンサート、なんてのは敷居が高すぎるし本末転倒。そもそも18歳未満は自前でオクできないし。


「スター」をもうちょっと通俗的にしたものが日本の芸能界における「アイドル」ではないか、という発想を脈絡なしにいきなり投入すると、スターが生まれない時代には大衆から支持されるアイドルも生まれにくいと考えることもできます。
送り手の問題だけでなく、未熟だったり未完成だったりするものであるところの「子供」に対する大衆意識の変化みたいなものも関わっているのかな、なんてことも頭をよぎりますけれど、そこまでいくとさすがにただの℃-ute大好きおっさんの手には負えません。
世の中を変えるよりは、どちらかといえば世の中にいる人の心を変える方が簡単だというのは実際に変わった経験から実感していますので、そのために「心」を大事にしていきたいですね。


とりあえずのシメとしては「ハロメンを見習って、目の前のことを全力でやっていこうぜ」なんてベタベタなところに落ち着くしかないのかなぁ・・・と思う今日この頃(苦笑)。