Yes! all my family・その2

いけねぇ、大事なことを書き忘れてた(汗)。慌てて追記。

簡単に愛とか
自由と言うが

このフレーズが大好きなんですよ。


愛とか自由なんて言葉は、それこそ1960〜70年代にロックとかフォークとかの歌い手というか詞を書く人が好んで使ったもので(いや「愛」は歌謡曲の方が多用してたかも)、その言葉を「簡単に使ってくれるなよ」というニュアンスでアイドル歌謡に用いる、という反逆精神というか諧謔精神というか、そういうのって逆にロックですわな。実につんく氏らしいひねりです。
さらに。
そういう感じで現代の日本では割と気軽に用いられる言葉なんですが、歴史上において、また様々な文化圏において、多くの先人たちが文字通り命を賭けてきたものでもあるわけですよ。
「そういう言葉を、お前はどんな覚悟で使おうというのか」という問題提起。ここで明確な解答を安直に与えないというのが実にシビれます。「お前たち自身で考えろ」というこの突き放し方がねぇ、これまたロックですわ。


下のエントリでうっかり「スタイルなんざ人それぞれさ」なんて書いちゃいました。こういう耳触りのいい言葉を隠れ蓑に「俺の好き勝手にやらせろよ」なんて主張をしてくるバカな人ってのは最近よく見かけますけど、「誰かの自由を阻害する自由など存在しない」程度のことがわからないなら自由とか口に出してほしくないですね。僕も気をつけていることではあります。
リアルで口にするといきなり胡散臭くなる言葉の代表格に「正義」があると思ってますけど、「自由」もその一つかもしれませんね。


で、同じく胡散臭いのが「愛」。学生の頃に「愛(アイ)という言葉はあくまでも中国語であり、これを正確に訳す日本語は存在しない」という言葉に(真偽のほどはわかりませんが)衝撃を受け、それからちょっと苦手な言葉になりました。この言葉を口にして違和感のない人というのは僕にとっては美輪明宏さん、あとフィクションを含めれば古代進とイシゾーくらいですかね。だから劇場版ゼータ第三部のサブタイトルは残念だったなぁ。


なんだかどんどん脱線しておりますが(汗)、僕にとってうかつに使えない、そのくせ世の中に氾濫している言葉あるいは(あやふやな)概念にビシッと斬り込むこの歌が僕は大好きなわけです。


ついでにいっちゃうと、その後に続く

一人じゃ人生なんて
歩けないさ

も好きですね。「貴様が朝起きて顔を洗う水さえも水道局が用意したものだろうが」みたいな(ホントかよ)。僕らの一人一人が朝起きてから寝るまで平穏に(生命の危険がない、とうレベルね)過ごすには実に多くの人の手間がかかっているわけですよ。そして僕らも多くの手間をかけて、その手間が回りまわって誰かを生かしているわけです。こういう見過ごしがちな、でもとても大事なことに気づかせてくれる歌詞ってのは、今つんく氏のほかは誰も書かないんじゃないでしょうかね。大事にしないといけないな(笑)。