応援とかそういう部分の話

何やら盛り上がってるようなので予定を変更して、とりあえず思ったことを適当に。せっかくだから長くいきましょうか(笑)。こういう話なら睡眠時間を削っても惜しくない。


「参戦」という言葉についてですが、僕は抵抗なく使ってます。
たぶん僕らは何かと戦っていて、戦場の一つが客席なのかもしれないと思うから。


僕がもっとも「ステージと客席の関係が良好である」と思うメロンコンの話をしますと、
「あー、ステージと客席で見えない殴り合いをしてるなー」
と思うことがあります。間違いなくメロンとメロンの観客は勝負をしている。それは相手との勝負でもあり自分との勝負でもある。
何の勝負か。適当に一言でまとめてしまうならば、
「どちらがより盛り上がれるか」
なんですけど、じゃあ「盛り上がる」って何だろう。


「自分の限界を超える」
ことだと仮定すると、僕にだけはすべてがつながるわけです。自分の限界を超えるには自分の力だけじゃ足りなくて、誰かの力が必要。その「誰か」とは、といえば目の前のステージ(逆の側からいえば客席)にいる存在。だからステージの上からさんざん煽り立てるし、観客はステージに向かって怒号のような歓声をぶつけ、時には自分の体ごとステージに突進していく。それらが絡まりあって上昇スパイラルを描き、日常生活の自分では到達できない境地に達する。達することが出来れば勝ち(成功)、出来なければ負け(失敗)。そこには「勝負」があって、きっと「戦い」もある。
スポーツの経験は中学の野球部くらいしかないのでよくわかりませんが、きっとスポーツ選手も相手との勝負を通じて「自分の限界を超える」喜びを感じるからつらい練習を積み重ねることができるんじゃないかなぁ。で、それはたぶん芸能とか表現の世界でも同じことだと思います。


同じ公演は二度とない。すべての公演ごとに違ったミッションがあって、クリアすることが求められる。出来なかったことが一つあるならそれを出来るようにする、出来たらそれと並行してもう一つ出来るようになる・・・それが延々と続く。果てしない道のり。続く苦難。蓄積する疲労。のしかかるプレッシャー。耐えられなくなった者には脱落あるのみ。そんなとても厳しい世界に彼女たちはいるわけです。
自分を取り巻くネガティブな要素をすべて跳ね除けてミッションをクリアするためには、前公演までの「クリアできなかった自分」を超えないとならない。そのためにレッスンやリハを繰り返す。1回の公演が終わったらすぐに修正点を洗い出し、次に備える。


そのためにもっとも必要とするものは、


味方


じゃないのかなーと思います。


僕(たち)はあなた(たち)の味方である。
それを絶えず示していく。言葉でもいい、行動でもいい。そりゃあ失敗もするけれど、というかむしろそっちの方が多かったりもするけど、気持ちだけは変わらずに何かをやっていく。試していく。嘘じゃない気持ちを持って、嘘じゃない行動に移す。
それを「応援」というのではないでしょうか。


確か去年のサーキット&℃-uteの日のDVDを見てたときだったと記憶してますが、
「ステージの上じゃ誰も助けてくれないんだよね」
なんてことをふと思いました。もちろんスタッフさんは手伝ってくれるけど、ステージの上で何かをやってみせて、表現することは演者にしかできない。
孤独ですよねぇ。そこは誰も踏み込めない、踏み込んじゃいけない聖域であるわけだからしかたないのですが。
「孤独」はしかたない。でも「孤立」はさせちゃいけない。


僕は音楽(っていっていいのかよくわかりませんが)の好みが非常に狭い人間でして、若い頃こんなことがありました。
好きな女のコが好きな音楽を自分も好きになりたいと思って、とりあえずCDを借りました。でもどうもしっくりこない。そこでライブに出かけました。一人で(誘えよ!)。
いやー、ダメでしたね。好みに合わないものはどうしてもダメ。
で、周りを見るとみんなノリノリなわけです。
「あー、この客席の中でノってないのは俺一人なんだろうな」
そう思ったら膝が折れて、武道館の二階席で座り込んで頭抱えてました。
孤立とはこういうものか、味方がいないというのはこんなにも心が折れるものなのかと痛感した次第。


彼女たちの心を折る資格なんて誰にもない。






かっしぃ〜(あ、一応この表記は「まいみぃ〜」に対応させてます)の「負けたくない」話にもちょっと触れましょう。


「惚れた、と思った瞬間に勝ち目のないレースが始まる」
という言葉(細部は違っているかも)を発した人が昔いました。深く納得しましたね。
僕は「男子の意地」と呼んでいるんですけど、好きだからこそ相手の前で胸を張れる自分でありたい、という気持ちってありますよね。いや別に同意してくれなくてもいいんですが。実はよくないですが。若干悲しいですが。
胸を張りたいんだけど、でも自分の悪いところが気になって、相手のいいところがよく見えるから、どうしても「負けている」と思ってしまう。
それでいいんじゃないでしょうかね。
負けていると思うけど、男子の意地があるかぎり負けまいとすることができる。その気持ちはファンとしての行動にも人生そのものにもいい影響を与えると思うんです。誰かを好きになることで人生にいい影響が出るなんて、こんな素晴らしいことはないじゃないですか。
だから負けてていいんです。挑む気持ちを忘れないでいられるならば。忘れちゃうと、勝負の相手がステージの上の人でなく客席にいる人やネットの中の人になっちゃって「最強」とかそういうことにこだわるようになる。それは野暮というかもったいない話だと思うなぁ僕は。


この歳になっても、ステージ上の女のコから学ぶことってたくさんあります。全部生かせているとはいえないけれど、少しずつ自分に、人生にフィードバックさせていきたいと思っています。
自分は良い人生の楽しみを見つけた。ひそかにそんな誇らしげな気持ちを持っています。だから、みんながそういう気持ちを持ち続けられるファンシーンであってほしいなと願っています。
だってそれは、ステージの上の人にもいい影響を与えるはずだから。
恩返しってやつをしてみたいじゃないですか。


そんな感じデース。