伝えあう

NHK-BSで岡林信康ライブを見ながら思いました。
自分、「歌」が好きだなー、と。自分で歌うのは苦手なんですけどね。
聴くことそのものもだけど、歌詞や音やリズムを越えて「伝わってくる」ものを感じる瞬間がものすごく好きで。
なんつーか、非言語コミュニケーションが成立した(と錯覚する)ことによるアハ体験っつーんですかね、そういうのが好きです。
別にインストでもいいし、音楽でなく実演でも映像でも文章でもいいんですけど、そこに歌があると僕の心には響きやすいようです。その分嫌いな歌はとことん嫌いですけどね。


で、さらに突き詰めていくとその非言語コミュニケーションというやつがすごく好きだなーとも思うわけです。言語によらず伝える、伝わる、みたいな。だから言語を使うしかないネット上でのコミュニケーションというのはもしかしたら僕には向いてないものかもしれないわけですが、かといってリアルだと年単位の時間をかけてそこそこの付き合いをしてる相手でもないと積極的に話す方でないのが悩ましいところです。


伝わってくるものがあって、伝えたいことが伝わってることがまた伝わってくる。
たとえ錯覚だったとしてもそういう風にもっとも強く感じさせてくれるのが、今の僕の行動範囲だと℃-uteになるわけです。
僕らの前ではとにかく楽しそうにしているし、僕らが楽しんでいることを感じ取って喜んでくれる。お互いに表現がストレートだから(苦笑)より伝わりやすいですね。
自称「あまりにも鈍感」なリーダーだって、ちょっとしたところで気を遣ってくれる。まぁ15歳の女の子に気を遣わせる大人ってのもそれはそれで困ったもんですが。
うまく表現できないんですが「同じ方向を向いてる」と感じることがあって、それがまたとても嬉しかったりするわけです。


それが何であるかはわからないけど、7人がとても強い意志を持っていて、僕らはそれに巻き込まれているのかも、なんてことを思ったりもしますが、巻き込まれた僕たちが一つの方向に向かうことによって逆に7人を巻き込んだりもしているのかなぁ。


ブログとかをやってる人は特にそうなんじゃないかと勝手に想像してますが、何かしら伝えたいことがあるから言動や行動に移すわけで、それは「自分」そのものを伝えたいのかもしれなくて。
きっとステージに立つ人も同じだと思うんですよ。
伝えたい「自分」を持つ者同士の共鳴。そんなこともあるんじゃないかとついさっき思いつきました。思いつきなので深く追求しないでください。


「日本中の人に知ってもらいたい」とか「(夢は)超有名になる!」とか本気で(なんだよなきっと)発言しちゃうあの全力投球っ子。きっと彼女にも伝えたい「自分」があって、「ワレ此処ニアリ」と世界中に宣言したいんだろうな、と勝手に妄想する次第。
そういう気持ちは僕にもあります。


心をこめて接してくれるから、こちらも精一杯それに応えようとする。その繰り返しの相乗効果が、℃-uteに接することの喜び、「℃-uteの喜びは俺たちの喜び」という心の動きにつながっているのだと思います。
これはとても幸せなことなんだよな。こういう関係での話だけじゃなく、たとえば会社の同僚や上司や部下あるいは顧客が相手でも、はたまた家族との関係でも、お互いの考えてることがわかると事がスムーズに運ぶことってあるじゃないですか。
僕たちは今うまくやっている。やれている。それがほとんど奇跡のようなレベルであることも僕は体験上知っています。


この幸せは長く続けなきゃ。