握手とループとレスと認識

握手会とは?
「来てくれたお客さん、応援してくれる人に対するサービス」という意見が大多数だと思います。
僕の解釈はそうじゃないんです。こちら
そんなわけでループは理解の範囲外にあります。1度したらあちらは用が済んでるわけですから、できてもしない、したくてもしない、むしろ1回の握手にその日のすべてをかけた一言で勝負、という風でありたいものです。声も出せないくらいガチガチですが。そもそも会話というのも求めるべきものかどうかは判断に苦しむところですが。
僕は人が少なくて券が余ってる握手会というのを経験してないからこういうことを考えるのかもしれませんし、基本的に苦手だというのもあるでしょう。
(追記)
あまりの緊張感に1回だけで気力をかなり使うので、すぐにもう1回やれといわれても難しいです。


℃-uteの日で梅さんと目が合って(誤爆)非常に高まりました。誤爆でこれですから、自分のアクションに対してレスがあったらその喜びや達成感は大変なものがあるでしょう。
でも積極的に求めることはしません。「すべてのレスは誤爆である」でかまわない。というかそうあるべきかもしれません。
「君たちは一部の客を相手にするためにステージに立ってるの? そうじゃないでしょ、客席にいる人全員、何かの都合で客席にはいないけど熱い思いを抱いている人たち、(中略)まだ名前も知ってくれないし興味も持ってくれないすべての人々を相手にするんじゃないの? そんな小さいところに収まんないでくれよ」
と思います。
それから、僕らは観客ですから、アクションでなくリアクションが役割であるとも考えています。


ボードは・・・あまりにも必死になってる人(WとBerryz工房の合同コンにはそういう人もいらっしゃいまして、印象が悪かったのでその後現在に至るまでBeryyz工房の現場には行ってなかったりします)を見ると「この人にとってはセットリストとか歌とかダンスとかどうでもいいんだろうなー、○○ちゃんが反応してくれればそれでいいんだろうなー」と悲しくなります。ある意味大勢のスタッフさんとメンバーの努力を全否定しているわけですから。
精一杯のアクションには精一杯のリアクションでお返ししたい。そんなことを考えつつひたすら叫び、ジャンプするわけです。


そりゃあ認識はされたいですよ、ものすごく。今認識されている人たちは本気でうらやましいです。
でも、これも求めない。いつまでも「君の“特別”になりたい」という思いを持っていたいというか、頑なに「演者−観客」のラインにこだわってるというか。逆に認識されたら変なプレッシャーを感じてしまって引いちゃうかもしれません。


特別な存在になりたいようななりたくないような、という逡巡とか、俺が特別になったって意味はない、応援はみんなでやるものだ、みたいな考えが根底にあるのかもしれません。いつも「俺の舞美」と書く代わりに「我らが矢島舞美」とするのはそういう理由もあるわけです。


ヲタ芸なんかにも通じる話かもしれませんが、現場によって許される・許されないのラインは異なると思います。「あっちでOKだったから」なんて楽をしちゃいけません。あらゆる現場で空気を読まないといけないわけです。僕だって地下にいた頃はドリーム・逆ドリ・ヲタ芸・フリコピ・メンバーいじりと色々やりました。許容されていたから。されていない場所ではやる気にもなれません。既成事実で許容させてしまうのは暴力的だと思いますし。
何かやって誰かが楽しめなくなるなら何もしない方がマシ、そう思っています。もしかしたら僕が跳んだり叫んだりすることで誰かが楽しめなくなっているかもしれませんが。


なーんて偉そうなことを並べつつ、許容(黙認)度の広いメロンコンではそこそこやりたい放題してますけどね。