超人バカヒロ

正直いって記憶が抜けたりあやふやだったりしている部分があるので、そこいらへんはご容赦を。


寝る子は℃-ute』の劇中で僕の印象に強く残ったのが、バカヒロこと若浩おじさんなんです。まぁその大部分はあの突き抜けたバカっぷりに共感したというか憧れたというか、そういう部分なんですけど。
この人、とても興味深いキャラクターだと思うのです。


劇中の登場人物は、それぞれに何かを得たり失ったり、あるいは葛藤があったりして、それぞれにそれまでと違う自分になっていくわけですが、ストーリーに直接絡んでこない駐在さんとお母さん、夏美−若浩−チョーさんの関係に入れない(入らない)ミヤブーを除くと、若浩だけは最後までなーんも変わらないバカヒロなんです。物語全体を強引に「成長の物語」としてしまうと、若浩だけは成長しないキャラクターとして設定されているんです。若浩って字は一瞬「若造」と見間違えるし。
果たして彼はいつまで経っても成長しない「子供オヤジ」なのか、それとも・・・。


不思議なことがあって。
せっかくの肉親との再会だというのに、若浩と夏美の話というのは「あったっけ?」というくらい表に表れてこない。それは長谷川君との思い出の夏を完結させるのがメインだから、という作劇上の都合なんだとは思いますが、ここで一つの妄想。
若浩はすでに、劇中に出てこないどこかのタイミングで、夏美の死を受け入れていたのではないか。だから「あの夏」に悔いを残すチョーさんにすべてを任せたのではないか。
ものすごくリアルなことをいっちゃうと、夏美の骨を拾ったかどうかの違い。骨を拾った若浩だから、思い出を拾うことは任せられた。


もう一つ。火事の後。「ごまかす」ことを勧めたのは若浩でした。
冷静さを失った子供たち(とルーム長)に「道」を示したのです。
ここに僕は「大人」のあるべき姿を見ました。


もしかしたら一番大人だったのが若浩かもしれない。そう思えてなりません。
あのバカっぷりは、姉を失った悲しみや現実の理不尽さを十分にかみしめた後に出てきたものだったのかも。
設定にはないみたいなんですけど、一足先に大人になった若浩だから、いつしか長谷川君は年下の彼を「さん」付けで呼ぶようになったのかもしれない。そんな妄想が頭を離れません。ついでに、若浩が長谷川君を「チョーさん」と呼ぶのは単に年上だからというだけでなく、夏美の死をトラウマとしているチョーさんにある種の身内意識みたいなものを持っているのかもしれない。「幻の義理の兄貴」くらいのことは思っているのかもしれない。そこまで姉ちゃんを思っているのか、負けたなー、なんてリスペクトとか、姉ちゃんの代わりに俺がこの人を支えるんだ、みたいな優しい気持ち。そんなものが入り混じった呼び名なのかもしれない。


よくできた物語には注意して配置された脇役というものがつきもので、『寝る子は℃-ute』におけるそれは若浩だったのでしょう。
ギャグメーカーだと思ったら意外と重いキャラクターだった、というのはよくあることです。


バカヒロお前はナイスガイだよバカヒロ。