何だ?この、ユーウツは!〜代理戦争〜

第一部
横浜死闘篇


从・ゥ・从<サブタイトルが(ry
(オ゚Д゚)<都合により内容を変更してお送りします


まとめよう。僕は・・・・・・
从・ゥ・从<飾れない 交換できないものが好き♪
ここで「マニアの受難」(ムーンライダーズ)ってのもなぁ。


僕の好きなものは、
哲学がある。
妥協がない。
唯一無二のものになっている。
表現を突き詰めている。
屈折の果てのストレート。
表現の力で、受け手である僕を圧倒しにかかってくる(と感じる)。



これらの点から、「我武者LIFE」の歌詞を考えてみよう。



第一印象は、
「何このJ-POPジェネレータが作ったようなありきたりな文言の羅列」
手垢のついた、紋切り型の、ありきたりなフレーズが並ぶ。
僕は「歌詞は脚本(戯曲)、曲は演出」と考えて楽曲と接している。伝えたいことと、伝える工夫。メロディやアレンジを楽しんでほしい作り手も多いだろうけど、そういうことは僕にはわからないから、「言葉」で出来たものを拠り所にするしかない。
この歌詞からは、何も伝わってこない。何を伝えたいのかすら判然としない。
作品を作る前段階としての叩き台のさらに前段階、「コレは違うよね」という最低ラインを決めるために用意したものが間違って表に出ちゃった感じ。
もうね、これだけで僕はダメ。無理。俺の℃-uteの10年は決してありきたりなものではない。むしろ唯一無二の10年だ。あなたの℃-uteは、その10年はどうだろう。ありきたりな言葉で説明できるだろうか。
【J−POP】ありがちな歌詞+ありがちなフレーズ+ありがちな語句一覧【今日からあなたも作詞家!?】
これと完全に合致するものは少ないけど、このまとめは作られてから2年半も経っているものだから、今やればもうちょっと類似性が感じられるものになるかも。合致するかでなく、テイストというか系統や傾向といった部分での類似性、共通性を感じてもらえれば、と思う。
耳にして心地よい言葉だ。その分、心には響かない。
なぜか。
ストレートすぎる、というのはあるよね。ひねり、屈託、屈折がない。だから味わいに乏しい。
もう一つは、この歌詞が小田嶋隆いうところの「ポエム」だからではないかと考える。

 ポエムは、書き手が、詩であれ、散文であれ、日記であれ、手紙であれ、とにかく何かを書こうとして、その「何か」になりきれなかったところのものだ。その志半ばにして、道を踏み外して脱線してしまった文章の断片が、用紙の上に(あるいは液晶画面の上に)定着すると「ポエム」になる。私は、そのように考えている。

小田嶋隆「ニュースがポエムになるとき」『ポエムに万歳!』新潮社2013、16ページ)

ポエムに万歳!

ポエムに万歳!

歌詞になりきれなかったもの。歌詞になりきれていないのに、歌詞のふりをしている、嘘をついているもの。
どうしてこうなった。
「突き詰めて」いないからだろうな。自分だけの、唯一無二の表現を探していない。
あるいは、自分の心で歌詞を書いていない。椎名誠が昔の文章で書いた「こんなもんでよかんべイズム」の具体例に思える。
「こんなもんでよかんべイズム」というのは、映画評論家の柳下毅一郎厳しく批判しているが、(全文を読むには有料の会員登録が必要)*1、ざっくりいうと「受け手はバカだからこのくらいやっておけば喜ぶだろう」という考え方だ。
お前ら、バカにされてることに気づけよ。バカにされて喜ぶなよ。盛り上がるなよ。盛り上がっていいのかよ。


歌詞を書くにあたって、担当したショッパイ君とかいう人(しょっぱい仕事をしたのだから、このくらいの愛称は与えられるべきじゃない?)は℃-uteについて勉強したという。
勉強してこの程度か。資料を斜め読みしただけなんじゃないのか。一夜漬けで資料の丸暗記するのを勉強といっていいのは高校生までだ。丸暗記もしてないだろうけど。大人の「勉強」ってのは己を高めるために常に研鑽に努め、昨日の自分より前進、成長することをいうんだよ、℃-uteのようにな。資料に書いてなかったか。
何某かの紙・音・映像が資料として渡されたとして、ショッパイ君はそこから何を感じ取ったのか。℃-uteが10年生き延びられた理由を、アーティストの視点からどのように捉えたのか。あるいはどんなものだと考えたのか。
残念ながら、「我武者LIFE」の歌詞からそれを読み取ることは非常に難しい。不可能である、といってもいい。
なぜか。


わからなかったんじゃないかな。


これは『日本の反知性主義』で高橋源一郎が書いていたのだけど、教鞭をとっている大学で学生にある難しい質問をしたところ、その回答は、
(1)難しい、といって絶句する。
(2)少し考えて、紋切り型の回答をする。
この二つに分かれたそうだ。

(1)も(2)も、同じ回路を経由している。難しい問題が与えられる→考える→回答が見つからない→なんとか(みんなが考えるような)回答を見つける。こういう回路だ。でも、このときの「考える」は、ほんとうに、考えていることになるのだろうか。こういう場合の「考える」は、ただ、どこかにある正しい回答を探しているだけ(原典の強調は傍点による)で、そういうのって、「考える」とはいわないんじゃないだろうか。

高橋源一郎「「反知性主義」について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、と思って書いたこと」『日本の反知性主義晶文社2015、116〜117ページ)

ショッパイ君も同じ回路をたどったのかもしれない。
なぜ℃-uteが10年やってこれたか、資料にどれだけ目を通してもわからなかった。山あり谷あり、どちらかといえば谷が多めの歴史も、よくある下積みの苦労話くらいに感じたかもしれない。「オレらの方が苦労したんじゃね?」くらいに思ったかもしれない。
だから、とりあえず「(バカな受け手の)みんなが考えるような」ありきたりな言葉を並べて、一本仕立て上げた。なぜならそうすれば一定の支持はもたらされる、ウケる。・・・・・・そんな成り立ちだったとしても驚けない。
ありきたりじゃないというなら、ありきたりじゃないことを表したありきたりじゃない言葉、℃-uteのための唯一無二の表現がどこにあるのか教えてくれよショッパイ君。
℃-uteだけじゃない、ここにはショッパイ君もいない。せっかく勉強したのに、勉強したショッパイ君の独自の言葉がない。かろうじてタイトルかな。「我武者羅」ってのは別にショッパイ君が考えた言葉じゃないし、「武者」「羅」は当て字らしいけどね。まぁ何というかヤンキー文化の薫りが漂うね。ハロプロは体育会系だから、意外にヤンキー文化とは親和性があるかもしれないけど*2
℃-uteを勉強して、理解できたのなら、ガムシャのムだって「夢」になってたはずなんだ。リーダーの座右の銘のひとつである「努力夢現」に引っ掛けられるしね。資料になかったかな? 公式サイトにゃ載ってるんだけどね。
わからなかったら、わからなかったという歌詞にしないといけない。わからないからどうなのか、理由がわからないけどやってこれた10年、それを経ていま存在する℃-uteとは何なのか、それを聴き手に納得、共感、感動をもたらすように歌詞に落とし込むにはどうすればいいのか。そこで呻吟してはじめて「ショッパイ君の見た℃-ute」が表現され、そのように見たショッパイ君のアーティスト性も浮かび上がったんじゃないかな。
だけどそうしなかった。わからなかった自分を素直に表す覚悟も勇気もなかった。
その怯懦、逃げ腰。実に残念だ。ビビってんじゃねーよ根性なし。


ただね。
ショッパイ君だけにすべての責任をかぶせるのもどうなんだろうね。
もちろんクレジットされてるからには責任を負う立場であることは間違いないんだけど、この楽曲がテレビ番組の企画で作られたことを忘れちゃならない。
「こんなもんでよかんべイズム」はショッパイ君でなく、テレビ局のものかもしれない。
番組にとって最悪の事態は「さんざん盛り上げたけど満足のいく楽曲が完成しませんでした→企画終了」という結末だろう。見ている方としてはそれもまた面白いのだけど、深夜枠とはいえそれなりの予算と時間をかけているし、企画にGOサインを出した偉い人の顔を潰すことにもなるような事態は何があろうと避けなければならない*3。ではどうする、どうなるか。
「素晴らしい楽曲が完成した」というゴールが最初に決定される。まず完成ありきで、そこに向かって動いていく。このつまらなさ、バカバカしさ、魅力のなさ。ゴールにたどり着けるかどうかがわからないから面白い、見る価値があるのだ。身も蓋もないことをいうと、℃-uteが10年続いたのは、いつ終わるかわからない悲壮感が客の心を摑んで離さなかったからじゃないのか?
ゴールが先に必ずある、そこまで必ず導くことが決定していれば、実をいうと楽曲そのものはもはやどうでもいい。完成までに「これは素晴らしいものだ」という雰囲気を盛り上げていけば、まんまと騙された視聴者は拍手喝采。中身が問われないのだから、体裁が整っていればいい。体裁が整っていることを示すには、できるだけ平易な、なじみのある、わかりやすいものであることが望ましい。だって視聴者はまんまと騙されるようなバカなんだもの。だったらこんなもんでよかんべ・・・・・・。


だとしてもそれに唯々諾々と従うのっていうのもどうかと思うけどね。ショッパイ君はテレビ局に弱味でも握られてるのかな? それなら許せるんだよな、俺も大人だから。


<次回予告>
℃-uteの喜びも悲しみも、10年の時の瞬き。
万物流転。
全てが宇宙に仕組まれた、巨大なイルミネーションだとしたら。
チケットのオモテ面に記載された、ただ一つの椅子に座り、
いつ果てるとも知れぬ、無数のタオルの乱舞を見つづける者。
それは誰か。
次回「異能者」
(オ゚Д゚)<それが、我が運命なら。

装甲騎兵ボトムズ DVD-BOXII

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*1:無料分だけでも、今回は事足りる。でも気に入ったら登録してみてよ。僕は登録して楽しんでおります。

*2:「たどり着いた女戦士」にも感じたけど、どうしてそう℃-uteに猛々しいイメージを加えようとするのだろう。もっとも似合わないものの一つだと思うんだけどね。「戦士」よりは「勇者」だろ。

*3:この思考回路において、残念ながら視聴者の存在は考慮されない。