繰り返されたもの

いや、ホントは五反田コン行く前に書こうと思ってたんだけど、プライベートな事情でバタバタしてしまった。でも五反田で確認できたこともあったから、かえって好都合だったかも。
そんなわけでネタバレ含む春ツアーの話ね。



 ノノノノノ^ミ          土日の雨は おれの雨 おれの 果てしない 雨 on Now
,(▼ゥ・*从、          ℃-uteの歌は おれの歌 おれの 大好きな ふるさとさ
ヘ,,__/ヽ__,,∧         友よ 「明日晴れる?」 おれが知るかよ
( || ♂ ⊂ノヽ,,       やはり雨かも 傘持っていけ 
ゞl==[]==♀ノノゞ⌒〜ゞ   祈りはするけれど 期待しない    
.く | |  ||    ノノ (
(_(__)`ヾ    丿
       ⌒〜⌒              


ごめんなさいごめんなさい。










オープニングナンバー『Crazy 残念な 完全な大人』が終わると、聴き慣れた『SHOCK!』のイントロ。
それまでどれほど盛り上がっていても、このイントロだけでちょっと冷める。それくらい嫌いな歌だ。リーダーがソロで歌ったこともあったし、どこまでヲレを挑発する気なのか。
余談だけど、℃-uteの、特にシングル曲においては僕の好みからはちょっとズレたものが出てくることがままある。もっとも、じゃあ好きな℃-uteのシングル曲は? と問われれば、浮かぶのがフォエラに桃スパ、会いロン、君チャリとバラバラなわけだから、「俺の好みに合わせろや」などといったらさすがに曲作る人が大変だ。


メンバー紹介を兼ねていて、5人が代わる代わるヴォーカルをとり、モニターにはメンバー名が映し出される。


何だって?


『SHOCK!』を、


5人が、


代わる代わる歌う、


だって!?!?!?!?!?!?



知っての通り、この歌のオリジナルでは鈴木愛理ひとりがヴォーカルをとり、矢島舞美中島早貴岡井千聖萩原舞の4人はコーラスというか合いの手というか、そういうものを入れるほかはただ踊るだけといったパート割になっている。
有原栞菜梅田えりかが去って5人体制となり、ベストアルバムの発表*1を挟んで最初のシングルのパート割があまりにも極端なものだったから、まさに衝撃の出来事だったのだ。


「“鈴木愛理とゆかいな仲間たち”状態」という表現も当時はされたりされなかったりだったが、メンバーにとってはそんな優しくポジティヴなイメージではとらえられない事件だったのかもしれないと、今さらながら思う。


℃-uteの歴史を語るとき、ついついこだわってしまうのがBerryz工房とのライバル関係。何しろ同じオーディションで合格したなかから、イマ風にいうなら選抜メンバーと選抜漏れメンバーが出来てしまったのだ。*2
その後、後に℃-uteとなる7人のハロー!プロジェクトキッズが、口さがないネット界隈からどう呼ばれたか。
「余り物」「非ベリ(=Berryzじゃない方の)キッズ」・・・・・・つまり、15人のハロー!プロジェクトキッズが「Berryz工房」と「それ以外」に分かれた。


これを踏まえて『SHOCK!』のパート割を考えるに、


鈴木愛理と「それ以外」


こう分けられたと解釈するのはさほど不自然ではないだろう。
もしも、4人がそう受け止めたとしたら。
「それ以外」からのし上がったはずが、また「それ以外」に戻された。
この挫折感、今まで何やってたのか、という徒労感は、僕ら傍観者の想像をはるかに超えていただろうし、想像するのもはばかられる気分にすらさせられる。そりゃあリーダーも髪切るわ。



ダマスカス、違う、だがしかし。
かつての「非ベリキッズ」が「℃-ute」としてデビューし、ハローではモーニング娘。以来となるレコ大最優秀新人賞の栄誉に浴し、モーニング娘。Berryz工房とともに紅白出場を果たした。当時の彼女たちはこう叫びたかっただろう。
「もう私たちは“それ以外”じゃない」


「愛理以外の4人」もまた舞台、映画、踊ってみた、単独イベント、Ustream冠番組などを通じてそれぞれに成長し、あの時パートをもらえなかった曲を歌えるまでに成長した*3


もう矢島舞美中島早貴岡井千聖萩原舞は「愛理以外の4人」ではない。
もう鈴木愛理が一人で℃-uteを背負い込むことはない。
℃-uteは名実ともに全員が主役なのだ。


メンバー紹介に『SHOCK!』が使われた背景にそんなメッセージがあるのでは、と想像することは楽しい。嫌いな曲でもこれだけのことを妄想させてくれる℃-uteって、やっぱり楽しい。
気に入らないからといって「糞」の一言で切り捨ててしまったらこういう楽しみは味わえなかっただろうし、嫌いだけど無意味/無価値ではない、という受け入れ方があることを知ることができたのは嬉しい。℃-uteのファンでいて本当によかったよ。



・・・と、ここまでは座間で受けた印象。五反田で気づいたものもある。


中盤で、今度は僕の大好きなアルバム曲『夢があるから』*4が披露されるのだけど、ここでの℃-uteがまたものすごい。
横浜でもう一度確認するけれど、たぶん5人は曲中で一度も目を合わせていない。それぞれがそれぞれの方向を見ていて、それなのに全体として完全に調和し統一感があるから、楽曲のメッセージが素直に伝わってくる。


それぞれのメンバーカラーの衣装をまとった5人が、それぞれに己の表現を行い、にもかかわらずグループのパフォーマンスとしての統一感を保つ。
自分、楽曲、℃-ute。これらの表現が同時かつ並行(平衡?)に行われる。


思い起こせばかつて『会いたいロンリークリスマス』のMVでも行われていたし、他にも目を合わせない曲なんていくらでもある*5。珍しいものじゃない、というかもしれない。
けれども、同じ曲を全員で歌いながら*6、メンバーそれぞれが明瞭かつ鮮明にそれぞれの個を主張しながら、それらが最終的に統一され全体の調和に奉仕していくこのパフォーマンスの見事さ、そこからうける感動の大きさは、親に連れられていった1978年頃の森進一ショー以来さまざまな現場を体験したなかでも群を抜くものであると感じた。


最近℃-ute含むハロプロ勢を語る際に、時折「アイドルの枠を超えたパフォーマンス」などという文言を目にすることがあって、正直いって不快な思いをしている。
アイドルに枠ってあるのかな。今でいう若手芸人のようなポジションでもあって、嫁入り前の他人様のお嬢さんにこれは・・・というもの以外は安いギャラで何でもやらされてきたジャンルなのにね。


それでも、こういうことはいえると思う。
アイドルの命題*7でもある「他人の著作物を媒介として自分を表現する」という表現形式において、歴史上においても珍しいほどの高い完成度を見せているのが℃-uteでありHello!Projectの各ユニット*8ではないか。
楽曲の完成度、ではない。僕は℃-uteしか見ていないようなものだから℃-uteの話しかしないけど、ひょっとしたら楽曲の完成度というか良し悪し、好き嫌いを超えて聴衆/観衆の心に響くものを出している、出しつつある、のではないか。そんな風に感じることすらあるのだ。



そんな大きなうねりのような感動があるかと思えば、相変わらずステゴーやバコーンは楽しくハジケてくれて、こちらもノリノリになってしまうものだから、五反田の昼公演の後から始まった筋肉痛がその後4日も続くくらいはっちゃけてしまった。それくらい℃-uteのコンサートは楽しい。


パシフィコが今から楽しみだなぁ。御徒町に宿取ってるから、終わった後軽くゴハンくらいならオッケーよ。

*1:これもはじめはヴォーカル新録という話があったのに立ち消えとなった。

*2:僕は℃-uteファンだから、後に℃-uteメンバーの当時の心情を知ることとなったけど、Berryzの方はどうだったのだろう。「ぶっちゃけ気にしてる場合じゃなかった」といわれても、そりゃ当然だろうな、と思う。

*3:もちろん、その間に鈴木愛理も成長していることはいうまでもない。

*4:アルバム『ショッキング5』もかなり好き。

*5:というか、目を合わせるスキがない、という方が正確なのかな。

*6:と書いて気がついたけど、『夢があるから』って『SHOCK!』と反対にほとんどがユニゾンじゃなかったっけ?

*7:だけの、ではないことはわかるよね。

*8:そういえば、真野ちゃんが卒業したから今のハローはソロの人がいないのよね。