アバクラタラリン・クラクラマカシン


ごめん、「5年」ってこれしか思い浮かばなかった。



あのキューティークイーンのイベントから、丸5年だそうですぜ旦那。


℃フェスの後で夕食のために入ったサイゼリヤ、うちらのテーブルはヲレとはっちまん。氏による昔話が炸裂しました。そりゃあ王子様に横浜蜃気楼、LINDBERGだもんなぁ・・・明らかに狙った、というかヲレら狙われたような気がするよ。


もちろんあのイベント、その前にあった色々なことも話題に上りました。いったん折れた心にたった1日半くらいで火をつけるのは大変な作業だったけど、逆に考えれば、心が折れても1日半あれば立てることもある、という自分、その業の深さを知った出来事でもありました。


「お通夜のような」どころかお通夜より静かだったかもしれなかった開演前、客の手荷物まで預かる厳戒態勢の握手会、初めて見たキューティーガールズ、MCでマイク持つ手が震えてたリーダー、その言葉を聞き漏らすまいと、一言も発することなくステージに意識を集中させる観客、・・・こういう表現が適切かどうかはさておき、アイドル歌手のイベントという言葉からイメージされるものとは程遠い、何か「鬼気迫る」といいたくなるイベントでした。これがヲレにとって初めての℃-ute単独イベントですから、初めからいわゆる「アイドル」を逸脱した何かを感じたのかもしれません。


当時は色々と考えたけど、あのイベントをあの日にやったのは2億%成功だったなぁ。
個人的には、あの日ステラボールに入ったことで、
(オ゚Д゚)<とっても大事な仲間が消えて
(オ゚Д゚)<生まれ変わった7人℃-ute
(オ゚Д゚)<メジャーデビューもコンサも決まり
(オ゚Д゚)<ちょ、ハァ━━━━━━ ;´Д` ━━━━━━ン!!!! と推さねば誰が推す!

ってな気持ちをより強く持ちましたし、何よりリーダーの人柄に触れたことで、
矢島舞美に惚れました」
そんなスイッチが入って現在に至るわけです。にょん様もフクちゃんもこのスイッチは切れない。


℃-uteは何があってもステージに立つ。
そういう印象を持ったのはヲレだけじゃないと思うんです。つまり「℃-ute=ステージに立つ者」というイメージの確立。偶然生まれたのか故意に仕込んだのかはわかりませんが、とにかくこのイメージ通り、℃-uteはライブを、ステージを大切にして生き続けているわけです。


ちょうど5年経った今日という日も、℃-uteはステージに立ちました。
共に立つのはBerryz工房。この二組の関係ってのは、きっと外野の想像を超えた深いものがある。百万言を尽くそうと表現できる自信がない。


Hello! Projectっていうのは、なんだかんだいってもモーニング娘。さんが看板だし、今の勢いはスマイレージ真野ちゃんだって各方面で活躍、評価も得ている。・・・なんだか微妙な立ち位置なんですよねぇベリキューって。
でもそのモーニング娘。さんは、実に現構成員の2/3が加入1年未満。リーダーの交代もあって、新たなグループ像を確立するまでには若干時間がかかる。スマイレージはここへきてメンバーの入れ替わり(予定含む)が多くて、カッチリとしたカタチになりづらくなってる。
それでも感じるハローの安定感。ベリキュー(と真野ちゃん)の貢献大だと思いますし、実はベキマこそが現在のハローの屋台骨なんじゃないかって気さえしてくるわけです。結果論めいてしまいますけど、ベキマがしっかり立ててはじめて、モーニングさんにしろスマイレージにしろ「一からやり直し」くらいの改革に踏み切れる、踏み切れた。ヲレくらい℃-ute史観、℃-ute中心主義に偏るとこういう見方になるわけです。


ベリキューのシングルが卒業ソング? 合同の仕事が多い? だから何ですか。
仮に現状でベリキューをいじくったらハロー全体がどうなるか、いい加減ご想像いただけることと思います。個人の事情は窺い知ることができないので、たまにビクビクすることは必要ですけど、娘。がこうでスマがこう、じゃあベリキューも・・・って、どんだけ悪平等主義ですか。ハロヲタ脳も時と場合によりけりです。潜在的に「ここらで人事的なトピックがあれば盛り上がるのに。あー俺たちも辞める辞めない入る入らないでワイワイ盛り上がりてー」って意識があるからそういう発想になるのであって、結局のところハローのファンさえも「話題性>芸」という考え方から抜けられていないんじゃないのかなぁ。しっかりしようぜお互い。


今にして思えば、5年前の℃-uteってけっこう「大丈夫かな・・・」と思わせる部分も多いグループだったなぁ。リーダーなんて「頼りになる」よりも「危うい」印象が強かった。
でも今って不安ないもんな。それが逆に不安になる程度には。
「強さは愛だ」というテーゼを敷衍して考えると*1、彼女たちのメンバー愛、グループ愛、諸々ひっくるめた「℃-ute」という場への愛、仕事への真摯な姿勢、誠実さ、・・・そういうもののすべてが力となっていったんだろうな。



あの日、℃-uteは言った。
「この7人で℃-uteと申します」
7人でやっていく、そう決意しなければならなかった。
今、
「この5人で℃-uteと申します」
とは言わない。℃-uteは5人だけに留まらないから。
もしかしたら、最大の成長はここかもしれない。
いったん置いてこなければ動けなかったものを、背負えるようになった。


仲間(とも)よ。
℃-uteは今日も走っている。希望に満ちた明日をつかむために。

*1:彼女たちこそ「倒れたら立ち上がり 前よりも強くな」ってきた人々だからね。