全部ネタバレ

というわけで、閲覧注意でひとつ。行稼ぎもしてないです。



「ヲレは今年で42になるけど、42年間に見たあらゆる作品の中で最悪。糞という言葉を何百個並べても生ぬるい」
「あんな職業意識も使命感もない、感情で行動する自衛官がいるものか。左に曲がってるヲレから見てもありえない。あれじゃただの軍コス女子だ」
「もしもこの場に林誠人がいたら躊躇せず物を投げる。全力でだ」
「途中で帰りたかった。つーか帰りゃよかった」


公演中ならびに終演直後の僕の感想はこういったもの。面と向かって異議は唱えられなかったけれど、楽しく観劇したすぐ後にこんな罵詈雑言を聞かされ、腸が煮えくり返るような思いをされたことと猛省しています。あらためて謝罪いたします。申し訳ありませんでした。



この感想は僕個人のものとして間違いなくあったのが事実だけれど、一方で非常に楽しんだ方もいる。これは何なのだろう。
好き嫌いに激しく二分される、人を選ぶ作品なのかとも思いました。それはそれで、表現のあり方として嫌いなものではないです。単に自分の好みと合わなかったという個人の事情。


そうじゃないんじゃないか。


まるで魅力を感じなかった自分がいて、魅力を発見した誰かがいる。
好みに合った者、合わなかった者。
好みって何だろう。


何に重きをおいて見ていたか、ではないだろうか。こだわりというか・・・
大切だと思っていること。
自分にとって大切なものが描かれていると感じられたかどうか。評価の分かれ道はそこじゃないのか。


そこで衝撃が走りました。10両編成のグリーン車を15両編成の乗車口で待っていたことに気づかなかったくらい。おかげで僕もホームを走りました。ネタ挟んでる場合じゃない。



劇中の人物たちを思い出したのです。
自衛官たちも、武将も、お姫様も、自分にとって大切なものに出会い、あるいはそれを見出し、自覚し、大切なものを大切にし続けるために戦い、決着をつけた。



大切なものは何ですか?


これを、劇中の人物はもとより観客一人ひとりにまで認識、自覚させる。
僕にとって『戦国自衛隊 女性自衛官帰還セヨ』とは、そういう芝居になりました。
気に入ったところ、気に入らなかったところ、それらすべてが、この芝居を見た人にとって「大切なもの」。
観客、観衆というものが存在する表現活動は「楽しめた/楽しめなかった」「面白かった/面白くなかった」といった価値基準で語られるものですが、そうではないもの、観客をただの「見物人」にしない何かがあった。今ではノスタルジアを伴って語られる「アングラ芝居」の薫り、なのかな。


これは最低どころじゃない。優良可&不可でいったら、悪くても良はある。
女性自衛官の全員に感情移入できなくて終始イライラしながら見ていたのを憶えているけれど、「帰りたくなった」のに帰らなかったのは、タイミングを見出せなかったからでなく、人物には感情移入できなくても作品そのものには感情移入していた、のかもしれない。



ラストシーン、ファーストシーンと同じシチュエーションと台詞、展開ながら、5人の姿勢や表情、目の輝きが明らかに違っていました。台詞なしで「成長」を表現していた、これは驚くべきことです。