虫の魂

五分もねーだろうなぁ。そのくせサイズは一寸じゃきかない(苦笑)。



そんなわけで、どうも、人でなしです。
「いかに自分が間違っていないか」を説明しだすとうっとうしいことこの上ない、というのは百も承知ですが、これを話さないとヲレにとってこの話題は終わらないので、勝手に書きます。スルーしたり無視したりしてください。
いや違う。終わりじゃない、終わっちゃいけない。むしろここが始まり。
この手の見解の相違というのはあちこちに転がっているもので、その度にそれぞれが個人の見解を言い合ってオシマイ、では何も発展しないし誰も成長しない。
見据えているものの本質は変わらないと信じられるから、取り組むこともやろうとするのさ。


またしても、個人の美意識の話です。結局ヲレはそこから出られない。自分なりに美しくあろうとしなければ死ぬまで醜いままだぞ、と自分に言い聞かせて生きているのだから、これは譲れない。



継続的な現場体験のスタートは堀ちえみのファーストコンサートになるわけですが、その時にはすでにアンコールの声出しというのは行われていました。したがって起源は知りませんし、興味がないので調べようとも思いません。
初めの頃こそ何の疑問も持たなかったのですが、慣れてくると、あの「アン、コー、ルッ!(ブレス)」の四部構成(四拍子で合ってる?)がどうも美しくないものに感じられるようになったのですわ。他にもっとCOOLなスタイルがあるはずだ、と。だから昔からやった記憶はあまりないのです。
ヲレはメロン記念日のライブが大好きだったんですが、「メーローンー」の時間は苦痛でした。それまでどんなに素晴らしいライブだったとしても、あれが始まるとガクンと萎えましたね。
これがたとえば、℃-uteちゃんなら「℃-ute! ℃-ute!」の二拍子(?)だったらかっこいいと思えるんですが、ブレスをどこに入れるかが難しいので、誰もやろうとは思わないでしょう。


1990年代の初め〜真ん中らへんの時期に、アイドル畑以外の、いわゆるロックバンド方面のライブというのにも出かけたものですが、そういう現場ではあの声出しが(自分の見た範囲では)ないんですよね。手拍子が主で、高まっちゃった人が個々に好きなメンバーの名を叫んでる雰囲気。女性バンドには出かけませんでしたが、プリプリやSHOW-YA等でそういうコールがあったという話は聞いていません。
これがヲレの求めていたものだ、という感動がありました。
個人的には「いわゆる“アイドルとアーティストの違い”の明確なケースの一つなんじゃないか」「いくら『このパフォーマンスのレベルの高さはもはやアイドルのそれではない』とか若干“アイドル”をdisりつつ持ち上げたって、客の対応がアイドル向け以外の何モノでもないじゃないか(プゲラウッヒョー」と思っていますが、話が広がりすぎるし敵が増えるだけなのでやめておきましょう。
演者とともにレベルアップや「脱皮」「成長」をしようというならば、むしろあのシチュエーションで声を出す行為こそ自重すべきではないのか。そんな提案がなされたとして、ヲレはさほど不思議なこととは思わないだろうね。様式の一つとして残っていてほしいけど。


興味がないと書いちゃったけど、やっぱり起源には興味出てきちゃうな。勝手な想像によるいい加減な仮説としては、勝ち鬨シュプレヒコールのどっちかじゃないか? としておきましょう。リズムとしては「エイ、エイ、オー」そのものだよね。勝ち鬨であれば本来は勇壮なものであるはずなのに、どうしてあんなに(ry。



ま、ヲレの場合はそんな大層な理由などありはしない。


やれるものならヲレだって率先してやりたいものですが、心がブレーキをかける。
根がひねくれてるせいか、自分の素直な気持ちをストレートに出すというのが苦手で、「そこは察しておくれでないかい」というのが大好き。『僕は矢島舞美が好きなんです。』というタイトルのブログをやっている以上矢島舞美さんが好きなのは了承してもらってるはずなので、あえてブログ上では「好き」とかネタ以外では書かないぞ、とか、客席にいるからには君たちの味方なのだから、君たちは好きに出てきて好きに歌って好きに踊って、今日はこのくらいにしといたるわ、というところで引き上げてもらってかまわない、ステージにいる間はリアクションするし、その時の気持ちに嘘はないよ、みたいな。面倒なクソジジイだね我ながら。
オトナゲ? そんなものがあったら、こんなものを書くなんてことはできるはずないじゃないですか。


幼少時から要所要所で人間関係をうまく構築できず、というか生まれてから8年くらいの間に法定伝染病とケガでそれぞれ1回ずつ入院なんてことをやってれば、社会性を身につける訓練も不十分だったのでしょう、自分には人を人と思わないところがあって、そこからきているであろう暴力衝動とか反社会性に常に怯えている。実際にあやうく・・・という経験もしているから、コントロールできなくなったら塀の向こうへ一直線だぞ、と自分を戒めているうちに、我を忘れるということに対する強い強い恐怖感を抱くようにもなって現在に至っております。
ネット上でよくキレているのは一種の代償行為かもしれないな。きっとこのエントリもその一つなのですが、要するに感情の処理が下手なのです。未だ壊れたままなんだろうね。


回りくどく長々と書き連ねてしまいました。ざっくりまとめると、あの時間は自分の美意識と反するものに四方八方を囲まれ、同調できればとっても楽しいのにそれもできず、歌およびそれと密接な関係のあるパフォーマンスを鑑賞する場にいる以上遮断できない「音」で攻め立てられ、まるでサナギマンのように苦痛に耐えながらどうにか気をそらそうとするのが精一杯で声を出してる余裕はございません、ということ。声を出さないヲレを見て仲間たちはがっかりすると思うけど、声を出す仲間たちを見てヲレはがっかりするわけだから、これはイーブンととらえていただきたいなぁ。


とはいうものの、単純に「誠意あふれるパフォーマンス、それを行うパフォーマーに対し何をもって応えるのか」という話なのだから、昔から「やらない理由は百も二百もすぐに出る」というように、どう考えたって正当性のある主張はヲレの方ではないよな。
そうなると、考えなくちゃいけない。じゃあヲレはどうするのか。
さすがにそれを理由に現場を捨てられるほど、このジャンキーの中毒症状は甘くない(爆)。さりとて、ここまで書いたらもう日和れない(苦笑)。
前にも後ろにも進めない、さりとて止まっているのは野暮すぎる、となれば、あとは横に進むほかないよなぁ。
妥協点というか折衷案というか、そういうものを見出すか、あるいは新しい潮流(笑)を考案、披露してみるか。
小道具に凝りはじめてますます客席での手抜きが我ながら目立つようになった昨今、そのへんもなかなか難しいところはありますが、代案を出さないとただの野党病だもんね。


超占イト市川で試したようにブレスのところに何か合いの手を入れる、なんてのが手軽かな。でもどんな合いの手がふさわしいだろう。市川ではハイとかヲイとか試してみたけど、どうにも寒々しく感じられた。
実はここでも「オルフェーヴル」が使えるんだよなーこれがまた。ロマモーのサビでもいけるし、クラシックはまだ二冠だけど、こちらはキスミーと合わせて早くも三冠達成(笑)。


・・・どうにかして声を出そうとすることで、かえって茶化した感じになってしまうな。下手したら安田大サーカス
これでいいのだろうか。声が出てればそれでいいなら悪名高きオーイングやMixと何が違うのだろうか。いや「声が出てればそれでいい」とは誰も発言していないのだけど、「珍妙なコールができてアンコールができないなら最初から口を閉じてろ」と叩かれるのは事実なのよ。そしてヲレがよくやる「ダサかっこ悪い美しさ」を狙ったコールは間違いなく珍妙なのよ。
屁理屈で自己正当化をすればするほど醜さが増すばかりだけど、自分の心に反して無理にやるのならネタとして落とし込むしかない。そんなヲレを見て貴方はどう感じるのだろう。仲間内ならいいけれど、客席に集う約1300〜2000人には面識のない人の方が多いじゃないか。そういう人々の目にはどう映るだろう。
それでいいのか本当にいいのか。


ま、そのへんの問題は個人的にどうにでもするとして、とりあえずのところは、手拍子なりハイパワーチアライトを振るなり、その程度のことくらいはします。それじゃダメ、というのであればその都度詰めていきましょう。