Re:

今回の℃-uteツアーは、一言でいって非常にシンプルだと感じます。
歌う、踊る、跳ぶ、転がる、話す、笑う、・・・それらを小細工なしにやっていく。その流れの中で個人とグループの魅力を出していく。去年から「春ツアーは個人、夏ツアーはグループの魅力」を強く出そうとしているのかもしれないと感じるところがあって、今回もそんな印象。1公演見ただけでは誰のどんなところとか具体的な話もしづらくて、いってみりゃあ5人の魅力爆発祭り。もうダイナマンくらい爆発。
从・ゥ・从<昔ゼネラルプロダクツの人が「家族戦隊サザエさん」って替え歌作ったよね
(オ゚Д゚)<ほんまもんの矢島舞美さんはダイナマン含め絶対知らないね


どの会場でも一人くらいいるであろう「生まれて初めて生で体験する大衆音楽のコンサートが℃-ute」という若者や、もっと若い子たちがうらやましくなる。初めからこんなイイものが見られるなんて。昔の呉服商などは奉公人の感覚を養うためにまず高級品だけを触らせたと聞きますが、この後も若者たちには良いものを体験してほしいと本気で思います。ハロプロはどれも割とオススメよ。このおっさんは℃-uteばっかり行ってるけど、それくらいの想像はつく。
若者じゃない方々も、機会があったら見てほしいなぁ。今ツアーでもう一度Ustream中継があるかといったら望み薄だろうと思うので、ハードルは高いと思いますけれど。



恐らく、といいつつヲレ個人としては確信しているのだけど、℃-uteメンバーは「自分が何者であるか」をしっかりと意識している。しっかりつかんでいたり、目指している最中であったり、とにかく彼女たちは何者かであるか、あるいは何者かであろうとしている。


あなたは何者ですか?
あなたは何を為し、何を成す、成そうとする人ですか?


この質問に即答できる人、己の本分を見出せている人の人生は充実しているはずで、5人もそんな幸せな人生を知ってか知らずか驀進中だろうと思える。そういえば新潟に「驀進特別」ってレースあるよね。芝直1000m。


そんな、己の本分を全うすべく繰り広げられる外連味のないパフォーマンスに接触すると、いきおい「じゃあヲレはどう向き合おうか」という方向に考えが向いていきます。かねてからおぼろげに脳内をゆらゆらしていたものですが、なんとなく形が出来上がってきたような。



そもそも僕らがCDやDVDを(仮に出来が自分の好みから外れていても)購入し、コンサートやイベントに足を運ぶというのは「何」なのか。
単なる消費行動だろうか。YESでもありNOでもあると思う。
ヲレのような盲目バカユーザーともなれば、情報解禁とともに円盤関係なら予約しチケットもFCに申し込んでしまうわけだから、作品への評価と対価の支払は別物(苦笑)。

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ヲレたちはうかつに「いい」「悪い」と言ったり書いたりしてしまうけど、このエントリの上の方でも書いてたりするけど、「好き」「嫌い」に置き換えても通じるようなものなら評価でなく感想だろうね。言葉ってのは発言者の主観というフィルターを通った後の情報だから、本当のところはどうなのか、というのはノンフィルターのものをそれぞれが自分で見て聴いて感じるしかない。

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もちろん第一義として「楽しい」からであり「楽しむ」ためなのだけど、それだけを求めていくと振る舞いが自分勝手なものになり、傍から見て眉をひそめてしまうような、決して好ましくない観客に堕してしまう。


「『応援』する気持ちを忘れてはいけない」
とよくいわれるけど、じゃあ応援って何さ、と考えると、これがなかなか難しい。
今日発表されたみっつぃーの件でも、「無理をせず、公演を休んででも治療に専念すべき」といえば「お前なんかいなくていいから消えてくれ」と解釈されかねないし、「ステージに立つかぎりは声援を送る」といえば「俺が楽しむためならお前の身体など知ったことか」という意味にとらえられる可能性だってある。去年の夏ツアーでナカジマさんが故障を抱えていた時期、どういう態度で接すればいいかわからずに声もなく棒立ちしていた自分の情けない姿を思い出す。
30年かかってもわからないヲレってのは特別に鈍いというかバカすぎるけれど、自分が自分であることを理不尽にも奪われたような状況に追い込まれた人に対する言葉というのは難しいし、思いを態度で示すのはかっこいいけど伝わりにくい。



以前義エン金の話で「捐は差し出す、援は施す」みたいなことを書いた記憶があるけれど、その伝でいくと、もしかしたら応エンも応捐とすべきなのかも・・・という気もしなくはないけれど、昔から「言葉とナニはいじりすぎると痛くなる」てなことを申しまして、何事もほどほどの按配ってやつがよろしいようで。


大事なのは「応」の方かもしれない。
応える、という行為。


リアクション。
自分の本分というか、軸はこれじゃないかと。
見るもの、聴くものに応えていく。


「ゼロからオリジナルを作り出すことができない」ことには、恥ずかしながら一度はクリエイターを目指しただけに、これまで散々凹まされました。会社員だった頃も、企画立案というものがまるでできない自分に呆れつつ落ち込んだものです。
だからこそ、せめてインプットされたものに対してのリアクションくらいは上手にやりたい。いや決して上手じゃないんだけどさ、はばかりながらこの30年で身に着いたものすべてにネット社会ならではの方法論を加味して、立ち向かうだけのものはステージの上にあるんだよ間違いなく。


ステージ含めた「作品」から発想して、ちょっとだけオーバーに。この「ちょっと」が難しいのだけど、だからこそ楽しくて飽きない。
あくまでも主役はステージの上。これは忘れちゃいけないなーと常に頭に置いております。このタガが外れてしまうと迷惑ヲタまっしぐら。自分の楽しみや満足のために演者を利用することだけは厳に慎まなければなりません。
何か派手なことをしなくたって、リリースものの数字を一人前差し出すこと、客席で楽しむこと、その場にいることだけでも十分ポジティブなリアクションなので、きっとヲレもかなりの邪道を進んでいるはず。だから自戒は忘れたくないね。


℃-uteの場合、小細工なしのライブでこちらの小細工を吹き飛ばしてしまうから逆に感動するし、そうきたか、これならどうだ、と気持ちも入れば頭も身体も使う。そりゃ大電光改も最初の2曲で壊れるわ(苦笑)。
もちろん、音楽に身を任せるだけでも気持ちいい。


千葉に向けても少しずつ準備を始めよう。新装備はわずか105円でまいまいさんのハートをガッチリつかんだ(脳内乙)けど、今ツアー初参加だっただけに、今もって大した筋肉痛が出てないくらい手探りだったしね。



とにかく。
℃-uteのコンサートは楽しいぜ。