カメラあれこれ

(オ゚Д゚)<いっかすっぞカメラ♪
(オ゚Д゚)<いっかすっぞカメラ♪
(オ゚Д゚)<いっかすっぞカーメーラー
从;・ゥ・从<まぁ、ボケとしちゃ定番だね・・・


いやね、Twitterで兄弟と思わぬカメラ談義になりまして、色々懐かしかったんでまとめてみようかなと。



ポケットカメラやコンパクトカメラを卒業して初めて本格的に(?)使った一眼レフカメラCanonT50Canon初のAF一眼T80(ただしMINOLTAのα−7000にフルボッコw)とかEOS-1の母体になったともいわれる(そういえばどことなく似てなくもない)Tシリーズ最高峰のT90あたりは古いカメラ小僧の皆さんにも馴染みがあると思うんですが、50とか70はちょっとマイナーかもね。 
一応は父親の持ち物だったんですが、35-70mm/F3.5-4.5と80-200mm/F4の2本のレンズでスズメとかカラスとか電車を撮ったり。


そうそう、専門学校に通ってた時には写真の授業もありまして、レンズのズームリングを50mmのところでテープ留めされて、「フィルム1本使い切るまでなんでもいいから撮ってこーい」と放り出されるところから始まったっけ(笑)。教わったことは完全に頭から抜けきってるけど、「とにかく撮れ。話はそれからだ」というのは大好きな発想ですね。だからいきなり技術に走った先週の美女学は納得いかなかったんだよなぁ。今週は面白かったです。


そのうち現場に持っていくことにもなりまして、動く被写体を撮るとなるとどうしてもAF機、それも動体予測機能のあるブツが欲しくなるわけです。そこで選んだのがEOS 5QD。新品だとボディだけで10万超えるので、中野のフジヤカメラで中古を物色。外装に傷があるだけで撮影に影響のないボディと28-80mm/F3.5-4.5か何かの標準ズームレンズ。会社員になって最初の給料で買ったはずだから、なんとか5ケタで納まったはず。視線入力AFはすげー楽しかったです。


ちょっと望遠方向のレンズも欲しかったので、狙ったのが75-300mm/F3.5-4.5 USM。ただし、もうボディと標準ズームでいっぱいいっぱい。次の給料まで1ヶ月待つか、あるいは・・・。


「困った時のウマ頼み」は昔から。この時は函館記念でしたねぇ、1997年。グロリーシャルマンの風車シッポ(笑)が函館のターフに躍動したあのレース。アロハドリームとの馬連182.7倍を、確か200〜300円くらい買ってたんでしょうか。WINS後楽園からフジヤカメラに直行しましたよ、ええ。


この頃は現場で使うのはもちろん、上野公園で飛んでる鳩なんかを撮って、今はなき京成の「博物館動物園」駅(建物は残ってるらしい)から台東区立上野中学校の前を通って鶯谷駅前の陸橋から電車を撮影、なんてこともやりましたね。あれは楽しかった。
・・・ま、昔のことですからちょっとインターネッツで公開するには憚られる被写体の撮影なんかもありました。いやぁいい時代だった(謎)。


でも一番緊張したのは、会社で「通勤風景のイメージ写真が欲しいから、ちょいとそこの地下鉄の駅で撮ってきて」とリバーサルフィルムを渡されたときでした。ネガフィルムより露出がシビアになるリバーサルで明暗の差が激しい地下鉄の撮影とか素人にやらせないでよ、みたいな。しかたなく撮影はしましたけど、使われたかどうかは怖くて確認しませんでした(笑)。


銀塩カメラはフィルムと現像・プリント代金が馬鹿になりませんで、撮影会に行く途中に量販店で36枚撮りをパック買いして、高まりすぎて使い切っちゃって「どーすんだこれ」状態になったりとか。デジタルの世の中になって、わざわざプリントしなくても出来が確かめられ、内蔵メモリや記録メディアの容量が足りなくなったら消去もできる世の中になったときはちょっと理不尽なものを感じたものでした(苦笑)。
そういえば、フィルムメーカーごとに得意なジャンルがあって、それは外箱に現れている・・・なんて話もありましたね。風景なら緑の箱の富士、人物が黄色のコダックでしたっけ? もう記憶もかなり曖昧になってるので自信はないですが、富士は輪郭のクッキリした写真になる傾向があったような気がするなぁ。


今はケータイのカメラとか、4月に2100円で買ったサイバーショットなんかを使ってますが、もしも超特大のフィーバーしちゃったら・・・もちろん大目標はEOSの50D、いやもっと思い切って7Dあたりですが、まずは中古でいいからこいつを手に入れたいですね。20倍ズームは望遠大好きなヲレ向きだし、何より有効画素数が「910」万ってのがなんともまさしく、


(オ゚Д゚)<いっかすっぞカーメーラー


じゃないですか(笑)。