今日の『らん』

例によって例のごとくDVD待ちの皆さんはスルー推奨。



弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く
その音が響き渡れば ブルースは加速していく

THE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」作詞・真島昌利
参考

・・・という歌とは、たぶん関係がなく(マテ。



ヒエラルキー上位にあるものが下位のものを虐げるという図式が変わらない、それどころかすべての人々の心のどこかにすすんでそれを受け入れ、積極的に加担するものがあるならば、世界が変わることなんか絶対にないし救世主だって現れるはずがない。


ハッピーエンドになりようがない話だったんだなぁ。
いや、エンターテインメントの一ジャンルとして微温的なハッピーエンドをエイヤッと持ってきて強引に締めることもやればできたんだろうけど、それをしなかった、できなかった。それでは作品そのものが無意味なものになる。



クライマックの大乱戦。修羅と化し、獣のごとく咆哮しながら*1向かってくる者を次々と屠っていくらんの姿に、僕らの世代ではフィクションにおける伝説的な存在の一人である、ある人間の悲痛な叫びが重なりました。

外道! 貴様らこそ悪魔だ!
おれは体は悪魔になったが、人間の心を失わなかった!
貴様らは人間の体を持ちながら悪魔に! 悪魔になったんだぞ!
これが! これが! おれが身を捨てて守ろうとした人間の正体か!
地獄へおちろ!人間ども!

不動明

新装版 デビルマン(4) (講談社漫画文庫)

新装版 デビルマン(4) (講談社漫画文庫)


誤解を招くといけないので慌てて記しておくけれど、何も『らん』がパクリ満載のダメ作品だっていいたいわけじゃない。
受け手が日常生活を送る上で無意識に目を逸らしている「不都合な真実」を、優れたクリエイターが「どうしても伝えなければ」という熱意とともにフィクションの形をとって描こうとするとき、それが同じものを描いた数々の古典的名作(といっていいんじゃないかなぁ)を想起させるのは自然なことだと思う。


自分が幼い頃、あるいは思春期の頃、見ず知らずの大人たちがメディアの片隅を使って僕らに本気で訴え、伝えようとしていたことは、その人の思い込みや勘違いではなかった。
そういうものを、今また若い人に伝えようとする誠実な大人*2がいる。まだまだ日本のエンターテインメントは捨てたモンじゃない。
その喜びを伝えたいというのが本意だとご理解いただけたら、これに勝る喜びはない。


今日のところはこんな感じで。

*1:一度見ただけなので記憶が曖昧だけど、たぶんあの瞬間まで人間の言葉を発してなかったはずなのよ。

*2:といっても秦氏は僕のわずか2学年上だから同世代といってもいい。何だろうねこの違いはさ。