生きたぜ! 生きるぜ! 生きようぜ!

更新予定地で逃げをうってから書き始め、リアルではとっくに日付が変わっていますが、6月11日は℃-ute結成5周年の記念すべき日でした! めざせ祝日。
舞美ラジオも℃-uteブログもその話題で持ちきりですなぁ。そりゃそうか。



はじめの1年半くらいは遠巻きに眺めるような自分でしたけど、キューティークイーンのイベント、あのステラボールに行ってなかったらどうなっていたか。いやそれ以前に、あれから見なくなったWeb上のスロットマシーンみたいな抽選で一発当選しなかったら。
少なくともこんなに楽しい日々を過ごすことはなかったはず。
℃-uteと、℃-uteを通じての様々な出会い。それらが僕の人生に光を与えている。これは冗談抜きで胸を張って断言する次第でございます。



決して順風満帆だったわけではないし、今だってかなりの危機感を持ってやっているように見受けられます。本音をいうと矢島舞美さんにはあまり深く考えず勢いまかせで突っ走ってほしいのですが、周りが見える立場と年齢になればそうもいかないか。
ただ、僕自身は割と楽観的に見ています。だからたまに自分でも「必死さが足りないなー」とは思うんですけどね。だから今日は必死で握手会関連記事を貼ってみました。必死になったところでこの程度。実に申し訳ない。


進む方向に間違いがなくて、努力の方向性を間違えてないのなら、運が勝手に向いてくるものです。ちょうどヲレ様が奇跡の大逆転で学園入学を確定させたように。って例が悪いか(笑)。いやでもマジな話、あれは自分の力でできたことじゃないと思ってるわけ。


『神様はいじわるじゃない』と歌った女のコたちが昔いましたけど、実際、神様ってけっこう気が利くものですよ。
悪運だけで生きてる僕は、本気でそう思っています。


目指すものや理想像によって自己評価ってのは様々だろうけど、少なくとも外から見ていて、常に努力・研鑽を怠らず、「心」を大事にする℃-uteは善き道を進んでいると思いますよ。
そういう人たちを、運命が放っておくはずがない。
世界中から「またまたご冗談を(AA略」といわれても、僕はそう信じる。


努力ってやつは、実は報われないことが多い。それが現実。
だけど、報われる努力は必ずある。
℃-uteはそれを知っているはず。だから努力し続けることができる。
およそ才能と呼ばれるものでもっとも上位とされるものは「努力する才能」だそうな。
℃-uteの場合、その努力ってのを当たり前のようにやってきたのだから、超絶特上の才能があるわけだ。
実を結ばないはずがないよね。



ただ・・・何というか・・・正直いって今の大衆から幅広く支持されるかといったら正直難しいかなー、みたいな・・・。
もうちょっと派手でわかりやすいエンタテインメントでもってお手軽に現実逃避させてくれるものだったらよかったんだけど、どちらかというと、現実の痛みを正面から受け止めてどうにかこうにかもがきながら生き抜いていく、みたいな重たい感じあるからね。けっこう苦しい現実の中で生きている人々にすれば「芸能でこれは勘弁していただきたい」気分になったとしても責める気にはなれない。


「生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳う」
ってのは1970年代にある子供番組の台本に印刷されていた言葉だそうだけど、℃-uteにもそんな雰囲気を感じる。

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ちょっと話が逸れるけど、すごい話だよねこれ。子供に見せるものなのに「生きる厳しさと哀しさ」だもの。「楽しさ」がどっかいっちゃってる(笑)。

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从#・ゥ・从<その顔は何だその目は何だ! その涙は何だ!!
从#・ゥ・从<お前の涙でスキルが上がるのか ファンの皆さんに喜んでもらえるのか
从#・ゥ・从<みんな必死に生きているのに 挫ける自分を恥ずかしいと思わんか!!!!
・・・という檄がリハで飛ぶのかどうかは別として(元ネタバレバレじゃんよ)、
「生きる厳しさと哀しさ、その中で必死に生き抜こうとする強さ、支えあう優しさを鮮烈に伝える」
みたいな趣はあるんじゃないかな。僕はそういう空気を感じるのよ。


無条件に楽しめるかっていうとそうじゃない。むしろツライことも多い(苦笑)*1。ひそかに「歌う富野アニメ」と呼ぼうか・・・なんて考えたりもしますけど(笑)、現実の壁に時々吹っ飛ばされながら、なんとかしてそれを越えようとする姿には感銘をおぼえますよ。



「生きようぜ!」


「生まれて来てよかった」


℃-uteが持つに至った究極のメッセージはこの二つじゃないかと思う。今年に入って発表された楽曲のタイトルとして打ち出されたってことは、これが℃-uteの進む道だ、とようやく定まったのかもしれない。
このメッセージは、時代に左右されない。
生きたいと思うことは自然の欲求だし、生きるからには己の生そのものを全面的に肯定したい。
「生命」と「心」に関わるもっとも簡潔で的確な、誰もが求めているはずのものだから。


そういう言葉を℃-uteが手に入れた。これは嬉しい。自分のことのように誇らしい。
せっかく揺るがない芯を持ったのだから、肉付けは時代に合わせたり先取りしたりではなく、時代の波が去った後に残った大事なものを一つずつ拾い上げていくような方向を採るのが合っているんじゃないかなーと思うのよ。
5年10年の話じゃなく、人類がある限り有効な言葉、心がそこにあるのだから、それを誠実に伝えていけばいい。必要とする者には必ず届く。出会うべきものとは必ず出会う。
だから、迷いながらでもいいから、前に進むことはやっていきましょうね。お互いに。


長文大好きな僕としてもかなり久しぶりに(まとまりないままに)長々とうっとうしく並べ立てましたが、要は、
℃-uteに出会えてよかったな」
ということです。とてもそうは思えないような展開、特に後半はそれが顕著でしたが、本心としてはそういうことで、嘘偽りなく心からそう思えるわけですよ。
自慢じゃありませんが、テレビの向こうのリトル・ピンクや高田みづえに淡い思いを抱いた1977年(当時小学校1〜2年w)から三十年余に亘り色々な芸能女子たちを見てきましたが、こういう喜びってのはちょっとこれまで経験のないものですね。
わざわざ振り返らなくても、見るたびそう思える。ということは、これから見ても同じことを感じられると思います。まだ℃-ute接触してない方がいらっしゃいましたら、この機会にいかがでしょうか。


長い人生、楽しみは色々。
時には非建設的で非生産的かつ非論理的な、要するにまったくの無駄な時間を過ごすことだって大事。そういうのって徹底的に楽しいしね。
そういう人生のなかで、目一杯楽しんだなかから現実の人生を生きるための何かを得たい、生きるという力の火を己の胸に灯したいと考える人がいたら、「ちょっと℃-ute試してみない?」と勧めますね。
話半分で聞いてもらってかまわないんですが、℃-uteと過ごす時間ってのは自然と身になるというか、あの若さでこのおっさんたちに向かって背中で示すものがある。大事なものをしっかりと持っている若者ってのは人類の宝ですよ。

*1:ただ、えっつんさん経由で現場にやってくる人たちを見るに、これまでアイドル未経験で、それ故に変な先入観を持っていないという人には概ね評判がよろしいようです。℃-uteを苦手とするのは、実は「アイドル好き」な方々、素直になれない嫌なマニアさんに多いのでは? というのが僕の仮説。