音楽=沈黙

『カメラ=万年筆』なんてタイトルのアルバムがディスコグラフィーにあるロックバンドがいたような気もしますが、そのバンドの話は昨日やっちゃった(笑)。


「四十にして惑わず」というのが誰にでもある当たり前のことなら、僕は40歳になっていないことになる(苦笑)。それはそれでいいのだけれど、惑うとか迷うとかいう気持ちは早めにスッキリさせておいた方が、東京大賞典にも身が入るってもの。といいつつ有馬疲れがドッと出たのかなんだか熱っぽいので、できるだけ早めに寝ようと思ってます。


ムーンライダーズでもなければ岡林信康でもない、ときたら、僕の遍歴でいうとこういう時はもうジャックスか早川義夫しかありえないない。


公式サイトの「エッセイ」や「コラム」はとても刺激的で、僕が親父の持っていたフォーク・クルセダーズのライブ盤に入っていた『からっぽの世界』のオリジナルを歌っていたのはジャックスというバンドだ、ということを知った19〜20歳の頃、あるいは二十数年ぶりの復活に喜んだ1994年の頃から変わらずに、早川さんの言葉は常に新鮮な驚きと感動があり、示唆に富みまくっている。特に復活アルバムの初回盤についていたというパンフレットの文章が再録されているエッセイ17番の『ラブ・ゼネレーション '94』には震えてしまう。
 

歌いたいことがあるから歌う。歌いたいことがないなら歌わない。それが歌っていることなのだ。

 音が出る一歩手前の沈黙。音を出す一歩手前の息づかい。それが美しいかどうかですべてが決まる。音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ。

 その音が本当に必要なのか。その音が本当に聞こえてくるのか。なにか意図があってはいけない。きどったところから、くさりはじめる。

この他にも名言や金言、胸に刻んでおかなければいけない言葉がいっぱいです。


そんな早川さんの歌。

とにかく聴いてほしい。何かを感じる人もいるし、何も感じない人もいるでしょう。それでいい。それが「自分が何者なのか」を知るきっかけになったら、そういう音楽の聴き方ってのもあるんじゃないかと思います。そして僕はそういう音楽の聴き方が好きです。

足りないのではなくて 何かが多いのだ


僕が今抱える迷い、すなわち『SHOCK!』にどういう態度をとればいいのか(苦笑)も、もしかしたらそういうことなのかもしれません。
(歌詞は音楽情報サイトにないようなので、こちらを参考にしました)