今日心に残った言葉

「芸能ではなく芸能界を見せているだけ」
(故ナンシー関さん・出典不明)

バラエティ番組への批判として語られたものらしいのですが、7年前に亡くなった人がそんな言葉を遺していたくらい昔からそういう番組があったのか、という発見は別として、僕がほとんどテレビを見なくなった理由がやっとわかりました。
僕が見たいのは芸能であって芸能界じゃない。芸を見せない芸能界ニンゲンが集まって馴れ合うのを流すものには興味がない。芸を楽しむための調味料のようなものであったはずの「芸能界」が主役になってしまった。それは僕には何の価値もない。


そういう番組を見るくらいならば僕はアニメを見ます。まぁ今のアニメで好きな作品はマジンガーくらいのものですが、どんな作品でも脚本・演出・作画・美術・音楽・演技・・・といった各パートのプロの芸が楽しめる。まぁテレビドラマと同じで業界内の力関係で決まるものもあるんでしょうけど、それでもまだ「芸能」というかプロフェッショナルの作るエンターテインメントの薫りは残っている。ついでのようになって申し訳ないのですが、アニメーター・金田伊功氏のご冥福をお祈りいたします。


話はいきなり飛びますが、今思うと今月の13日あたりから16日の午後くらいまで、僕は℃-uteのファンを辞めていました。何しろ舞美の口から出る言葉のすべてが信じられなくなっていましたから、最近一般的になってきた表現を使うなら、完全に心が折れていたのでしょう。
その時のなんともいえないイヤァ〜な感覚を無理矢理言葉にするなら、
℃-uteも芸能界に染まってしまったか」
みたいな。いや芸能人なんだから芸能界ルールで動くのは当たり前なんですが、それをあからさまに見せられたと思い込んでドン引きしていた。やれ某事務所の圧力だなんだと調味料を舐めることばかりに夢中になっている人に格好の餌を与えてしまったと打ちのめされていたのです。


そんな僕が戻ってこられたのは、DVDやネット配信の動画の中に確かに℃-uteの芸が、エンターテインメントがあり、それによって醸し出される楽しくて幸福な空気があり、その空気にもう一度包まれ、また作り上げる手伝いをしたくなったから。舞台と客席とに明確に分けられたなかにも、コミュニケーション未満ではあるけれど大事に育てたい関係のとっかかりみたいなものがあることを僕は知っていて、それは育てたい、捨てられないと思ったから。
ルールに縛られてはいても、お互い人間と人間のやり取りをやっている。百歩譲って口から出る言葉が嘘まみれだったとしても、その向こうにある心はいつも見せているし、そこには嘘はないだろう。それをもう一度信じられると思ったから。


というか単純に、
「やっぱり俺は℃-uteが好きだ」
と再確認しただけなんですけどね。


またいきなり話は戻りますが、芸でなく芸能界、その馴れ合いや勢力図を見せるだけのようなテレビ番組からハローに声がかからないのは、寂しいと同時に嬉しくもあったりします。
ゲーノーカイの偉い人のご機嫌をとるのは別の人にお任せして、その分芸を磨く時間、人間を磨く時間がとれると思えばいい。そう本気で思えるからです。「負け惜しみ」にしか思えない人もいるとは思いますが、まぁお互い勝手にやろうぜってことで。



どうやら愛知は楽しいイベントだったそうで、しかもイベントVはネ申だとか。やたら楽しみになってまいりました。