あえてツッコむなら

いぬいぬさんがズバッと切り込んでくれたので、口火を切る役目をやらずに済みました(笑)。皆さんの邪魔をしたくないので潜ります。こういう余韻の浸り方もある、と思っていただければ幸いです。










僕には、若い頃(苦笑)いくつか見た「打ち切りになったTVアニメの最終回」とか「TVアニメを劇場用に再編集したのはいいけど構成をちょっとミスった感じ」なものの記憶が蘇るような、登場人物の言動や行動、あるいは感情などの「流れ」が見えにくい部分がいくつかありました。用意した結論に嵌め込んじゃったとでもいいましょうか。
僕は「うちの矢島とその一党」に仕える身なので(苦笑)、脚本や演出にすべての責任を押し付けたいところです。


明確な主役っていなかったなーと思うんです。一応佳織(矢島舞美)なのか? と思うとオニ山(眞賀里さん良かったわー)関連のエピソードにはまるで絡まないし、きい(中島早貴)か? と決めるには何かもう一歩足りない。どうせハル(梅田えりか)は脇役でしょ、というのはその通りでも(苦笑)、佳織やレオン(キムユスさん熱演!)との名場面もある・・・といった具合。
6人それぞれに見せ場を設けたことで、かえって散漫な印象を与えかねないものになったかもしれません。前二作を終えての「結局舞美が主役かよ」みたいな一部での評判や、『携帯小説家』におけるネット(に代表される現代および現代人)批判に過剰反応されちゃったことなどで、これまでより「なるべく文句が出ない」ように気をつけた・・・のならば、「出来が悪いとしたらそれは君たちのお仲間のせいだよ」といわれてるみたいで逆に申し訳ない気もします。


おっしゃる通り中島早貴を完全に主役の位置に持ってきた方が「わかりやすい」ものになったと思います。冒頭に舞美の一人芝居があったのがいけなかったような(苦笑)。
ただそれはそれでテーマ的な部分で描きたかったものと離れてしまったかも。


今のところ「主題はあるが“物語の中心人物”という意味での主役がいない劇」だったと解釈しています。
仮に「人は己の心の弱さとどう向き合うべきか」が主題であったとしますと、その概念と紐でつながった登場人物がぐるぐる動き回るようなものだったんじゃないかと。ただその意図は今のところわかりません。


℃-uteゲキハロはそこそこ難解なものが平気で出てくるので、まぁ結論を急がずにボンヤリと頭の隅に置いておくことにします。