おやすみ1989(プラスマイナス1)
思いつき次第で不定期にお送りする「古いアイドルの動画を並べて一丁上がり」の安上がりな更新、今回は年度縛りでいってみようかと。
とくれば、僕にいわせれば「最後の豊作年」であり、現場通いが加速したこともあって非常に思い出深い1989年デビュー組を中心にやってみたいと思うわけ。ちなみに前回のCoCoも1989年デビューだった・・・よね? 歳をとると記憶が曖昧になっちまっていけねぇ。古い話だしね。
いきなり田村英里子ってのは濃いですか? つーかもうこのくらいの時代だとみんなマニアしか覚えてないような人ばっかりだから大差ないよね(笑)。
「サンミュージックヲタ」だったこともある僕ですから当然チェックしてました。ちょっと濃い目の人々は先輩のパンプキンに夢中だったこともあり不遇な日々を送りましたが、後に思わぬ形でブレイクしましたね。よかったよかった。
『真剣(ほんき)』という曲タイトルは『本気(マジ)!』(本田理沙)『儀式(セレモニー)』(松本典子)とともに「日本三大当て字タイトル」と呼ばれたとか呼ばれないとか。ぶっちゃけ今作りました。
その『真剣(ほんき)』でベンベケベンベケ鳴ってるシンセベース(?)の音が記憶を呼び覚ましました。
里中茶美。実は某男性ボーカル&ダンスユニットのリーダーの実姉ってのは有名な話ですね。
もうね、ヲレにいわせりゃ89年組のウラ本命。安室奈美恵にも夏川りみにもなれなかった、沖縄が生んだ幻の歌姫。この声量と歌唱力、そして松本隆渾身の歌詞は一度聴いたら忘れられない。2コーラス目のサビなんか震えがくるほど快い絶望感と寂寥感がありますよ。僕が未だ「歌詞」にこだわり続けるのは、こういうチカラのあるものに接してきたという自分史が影響しているんだろうな。
この2人だけでもわかる通り、89年とその前後1年にデビューした人ってのは実力派が多いという印象。僕の大好きな円谷優子や北岡夢子、それに吉田真里子が88年、90年は何といってもLip'sですよ。どうして誰も『Splendid Love』をカバーしないんだろう。アレは歌う人(たち)を一際輝かせる名曲なんだけどなぁ。まんまカバーじゃなくても、ああいう音で作られる曲ってのはもっとあっていい。℃-uteの新境地として考えてもらえないものかな。
さて・・・
うわぁ、この流れで増田未亜はぶち壊し(笑)。とはいえFCに入るくらい好きでしたねぇ。
彼女といえば『はずめ! イエローボール』『パオパオチャンネル(木曜日)』と並ぶ代表作が地球防衛少女イコちゃんシリーズですね。『3』の上映イベントとか行ったなぁ(笑)。
後に『日本以外全部沈没』で話題を呼ぶ河崎実独特の世界が炸裂しております。この歌が収められたミニアルバムも当然買いました。
この他の曲としては「元祖夏DOKI」ともいわれる(いやヲレが勝手に呼んでるだけ)『夏の瞳 DOKI DOKI』というナンバーがあるのですが、残念ながら動画がなかった(泣)。好きなんだけどなぁ。
代わりといってはナンですが、未だファンの間では名曲の誉れ高い『私は元気です』をどうぞ。
げんき、というキーワードはある意味地雷。ソレで89年とくれば答え一発カシオミニ(古)。
(オ゚Д゚)<河田純子キタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
すいません、取り乱しました。
これぞヲレの超本命。例えるなら矢島舞美とかウオッカちゃんとかのレベル。
語り始めると、学生時代のゼミで出た「評論を書け」の課題で「河田純子論」を400字詰原稿用紙55枚(だったと思う)書いて担当講師から、
(講師)<よく書けてるがこれは評論じゃなくてお前の作品になっちゃってる
(講師)<したがってA評価は出せない 書き直してAかこのままでB 好きな方を選べ
と迫られて、
(オ゚Д゚)<この題材ではこれしか書けないし他の題材で書くつもりは一切ありません
(オ゚Д゚)<よってBで結構です
なーんてツッパった恥ずかしい思い出が甦って「穴があったら埋めてくれ」な気分になっちゃうので、とにかくひたすら貼ってしまえ(笑)。
ああ・・・何もかもみな懐かしいわ。そういえば4月のANNEXの直前、なぜか舞美が『HERO GIRL』を歌う夢を見て飛び起きたなぁ。あれは何だったんだろう。
『架空の恋人たち』を作詞したのが元PRINCESS PRINCESSの今野登茂子さん、そして時は経ち、今度はやはり元PRINCESS PRINCESSの中山加奈子さんがメロン記念日に『ロマンチックを突き抜けろ!〜Break it now〜』の歌詞を提供すると。このヲレだけのめぐり合わせにはちょいと戦慄しましたね。
この年の暮れに同じレコード会社に所属していた中山忍・河田純子・田山真美子で組まれた期間限定ユニットが楽天使。これはもう夢のユニットでしたね。
スペシャルライブイベントなんてものもありまして、確か3人のシングルに応募ハガキが封入されてたのかな。応募券も貼ったような気がするようなしないような。まぁとにかく東京公演に複数突っ込んで(でも複数枚買った記憶はないんだよなぁ、どういうシステムだったんだろ)、1枚だけ名古屋に入れてみたらめでたく全当選。これが生涯初の遠征となったのでした。2度目はAB℃千秋楽。会場は違えどやっぱり名古屋でした(笑)。
これは唯一のテレビ出演だったトップテンですね。録画したS-VHSテープがカビにやられた時はこの世の終わりのような気分でした。今の目で見ると相当アレなんですが、当時もあまりのベタさに引いてた人もいたりいなかったり(笑)。
これはライブビデオの映像。会場がゲキハロでおなじみサンシャイン劇場だったり去年のキューラン4で℃-uteがこの曲をウクレレ演奏したり、なんとなく現在と密接なつながりが。もちろんこの公演も入っております(笑)。
この楽天使に宍戸留美とLip'sを加えて作られたのが七つ星。ライブとかテレビ出演は一切なかったように記憶しています。あったら覚えてるはずだから。
今と違って販売されるケースが少なかったのでレア映像だったPVをどうぞ。
今見ても魅力的な7人だよなぁ。この7人はじめ所属アイドル全員と契約切ってセクション閉めちゃうレコード会社がかつて実際に存在したなんて信じられませんわ。
・・・実力派云々の話がどっかへすっ飛んだ感ありありですが、他にも山中すみか、細川直美、山口弘美、・・・今も一部の好事家の記憶の中で生き続ける逸材揃い。そしてこれらの人々が揃いも揃って討ち死にしたことが本格的な「アイドル冬の時代」の訪れを告げ、そのまま現在に至っているわけです。
それが1989年だったというのは象徴的。もう80年代は終わったのだ、みたいな。僕が昨今の巷に散見される80年代ノスタルジアにノれないのは、「終わった」ものだという意識が強いからなのかなぁ。
とはいえ、ここから始まったもの、始まったことっていうのは確かにあって、それはハローにも影響を与えていると思うのよ。いや、さらに踏み込んで、
「Hello! Projectは“アイドル冬の時代”を踏まえた存在であり、それがなければ成功しなかった」
といってしまおう。これはハローに心惹かれて飽くことをしない自分の説明になるかもしれない。
この年にハタチになった僕自身も、コンビニでバイトした給料を思う存分現場とギャンブルに注ぎ込むようになって、そういうバカみたいなスタイルは今も続いている。今は仕事にあぶれているけれど。
僕もこのへんの時代から、アイドル歌手愛好家としての何度目かのスタートを切っていたのかもしれないな。
drdr書いててもしょうがないから終わるものナリ。