今日の一冊
朝の挨拶だけで終わりってのも味気ないので夜の挨拶ついでに(笑)。いやもうとっくに「午前」ですけどね。
- 作者: 平田オリザ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/10/20
- メディア: 新書
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最近「演出」ってやつに対する興味が増してきまして、まぁきっかけは『冬の怪談』で最低1ヶ所(DVDで見返したらもっと出てくるかもw)は納得いかない部分があったことで、ちょっとしたミスくらい笑ってスルーするのが大人の対応かもしれませんが、舞美のことだからこんなにいうんだぞ、みたいな。
映像と生の舞台の演出をイコールで結ぶことはできないけれど、画面あるいは舞台と客席(または再生機器とモニターのある部屋)という関係はそんなに違ったものではないし、実演の歴史は当然映像よりはるかに長いものなのだから、観客への見せ方、あるいは観客の意識に影響がないはずはないと思うわけですよ。
ロマヨロが太田さんの作品だから媚を売るというわけではないですが、ある一点の演出に注目してみると『携帯小説家』の後半は僕の大好きな『真冬の寝る子は℃-ute』に匹敵する大傑作なんです。
ゲキハロの場合、注意して見てみると前半に説明的なセリフがけっこう出てくるじゃないですか。たぶん普段演劇に縁のない俺たち向けにとーってもわかりやすく作られてるんじゃないかと思うわけ。それでもわからない人がそれなりの数いらっしゃるってのは、ただの観客でしかない僕にしても悩ましく感じるわけです。
ゲキハロでない、いってみれば普段通りの太田さんや散歩道楽がどんなことをやるのかというのはかなり楽しみです。見た人の評判がかなりいいので、今のところ自分の中でのハードルを上げられるだけ上げております。ハードル上げ男でも名乗りましょうか(笑)。
まだ途中までしか読んでなくて、肝心の演出論や俳優論にまでたどり着けてないのですが(ヲイ)、『「演劇のリアル」と「現実のリアル」』と題された第一章は非常に示唆に富むものでした。
何気なく見てうかつに感想を語り傲慢にもランク付けまでしてしまったりするのが僕らという生き物なんですが、この本一冊を斜め読みしただけでも、「演劇には演劇のルールがあるのだから、それを無視してテメェの狭い感性にまかせた物言いをするのは恥ずかしいからもうちょっと遠慮しながらやろう」という気分が生まれてきます。
他人の表現物に触れるということは、他人を自分の中に取り込むことである。
出典は忘れたし、引用も正確じゃないかもしれないけれど、そんな言葉を思い出します。
他人を受け入れるつもりのない者が他人の表現したものに口を出すっていうことへの疑問ってのは、僕の中に抜きがたく存在するんですよね。
よくいるじゃないですか、とにかく文句しかいわない人。あれはみっともないというのが僕の美意識であるわけです。あれは他者を否定することで自分を守りたいんだろうなきっと。
ただその表現というやつは、表現者自身の内面や問題意識、あるいは主張なり美意識なりが反映されている方が好きなんだけど、独りよがりというやつはこれはこれで始末に負えないもので、他人の存在を意識するとか他人と一緒に作り上げるとか、とにかく「他人」というフィルターを通したものが気持ちいいですね僕には。これは演劇とか映像表現だけじゃなくて音楽とか本なんかもそうだといえます。一部のJ-POPが大嫌いなのはそこに「他人」の存在が見えてこないからかもしれないという気もするし。
こういうのって、独りよがりなブログをやっている反動でしょうか(爆)。
表現するのもそれを鑑賞するのも人間なのだから、結局は表現物を通した「人間関係」をどう作るかってことなんだよな、きっと。
話が演出からどんどん逸れていったわけですが、しょうがないね。僕は観客なのだから、どうしたって「どういう態度で鑑賞するか」の方が重いわけで。
そんなわけでいい加減寝ることにします(笑)。