君は、生きのびることができるか!?
あくまでも思い込みのみで適当に断定しちゃいますけどね。
℃-uteってのはガンダム的なものを感じるんですよね。
うちら界隈の、特に℃-uteファンにはいわゆるガノタが多く、ガンダム童貞のとうかつちょー殿や若い者たちをほったらかしにしてガンダム話で盛り上がることが多い。その気になれば、かつて舞美ファンだけが偶然同じテーブルに集まった通称「矢島会」(笑)が舞美個人の話抜きで2時間飲んでいられたように、℃-ute話抜き、ガンダムオンリーでも一晩くらい飲み明かせると思うのね。それは決して年齢層だけの話じゃないと思うのだよ。
「理不尽な扱いを受けたり、思い通りに事を運べない無力さを痛感したり、仲間を失ったり。大人たちの都合に翻弄されながらも、懸命に生き抜こうとする」
・・・これってファーストからゼータあたりの宇宙世紀の物語ですか? それとも℃-uteの足取りを追ったものですか?
もしも人の革新が行われるのならば、それは宇宙空間や戦争といった極限状況で「生命体としての生をつなぐ」ために発現するのではなく、人を思い、その心を大事にする世界から、人の心のあたたかさによって何かのスイッチが入って内的進化の階段を上がるんじゃないか。その可能性をもっとも理想的に示しているのは℃-uteじゃないの?
そんな風に思えることも、年に2〜3回くらいあります。たまにこうやってブログに書いて、あまりの反応の薄さにまたしばらく黙るんですけどね(笑)。
そんな感じなんで、僕も自信と確信を持って「℃-uteはガンダムだ」と胸を張れる気分でもないんですが、なんとなくね。
だから、やっぱり非主流なんだよね。
一方にモーニング娘。でもBerryz工房でもいいし、ヨソの人たちが作って稼いでるものでもいい。そういう本格派の人たちが、アニメでイメージ分類すると、あるグループは古きよき時代の東映動画の冒険活劇、別のところはジブリ的な何か、あっちの方ではタツノコハードSF、向こうの方ではジャンプ原作の超人バトルもの*1・・・みたいな群雄割拠なメインカルチャーがあって、それとは関係あったりなかったりするところで己の世界、今の℃-uteのパフォーマンスの底にかすかに見えているものでいえば「パフォーマンスに心をこめて、オーディエンスと受け渡し」みたいな方向を追求していく。それが今後の℃-uteのスタイルになるのかな。
ガンダム、というか富野由悠季監督の作るアニメってのは、たとえ二つの星の知的生命体が絶滅するような『THE IDEON 接触篇/発動篇』でも、そこには「八方ふさがりでも人間は生きる、生きられる、生きなきゃならない、生きろ!!!」という人間讃歌、人間への願いがあると感じるのです。
状況がどんなに絶望的でも、人間は絶望しない。人間ってすげぇ。
これからの℃-uteが、素晴らしい楽曲や見事なパフォーマンス、楽しいトークの向こうに見せてくれるものも、そういうものかもしれません。
ただアイドル稼業ってやつは、後で「再編集して劇場公開」だの「最終回はOVAで」だの、あと最近増えた「2クールで収まらないからDVDを買いつつシーズン2を待っててね」なんていう救済措置はないですからねぇ。まして20年後に「新訳」とか(笑)。
ある程度以上のプロセスへ進んだら、という条件つきではありますが、やり直しがきかない。これがライブ感覚をより印象づける要因になっているんだよなぁ。
そういう意味でも、やっぱり僕は現場至上主義・・・で過激すぎるなら現場優先主義とでもしておきましょうか。
最近はイベントのお楽しみコーナーでの企画の煮詰め具合が足りないように思えたり、グッズにも思わず財布を開いてしまうほど魅力的な商品、あるいは逆に「実用性あるの!? でも気に入った!」と買わせてしまうユニークグッズ、その双方にどことなくマンネリ臭が漂いかねない危険は現場で感じております。
一言でいうと、企画が甘い。このところのCD発売記念イベントのトークコーナーも、メンバーの魅力で助かってるけどさぁ・・・みたいなこともあります。
まぁ何というか、もうちょっとだけ何かやってみようぜ企画の人。俺たちもできることはするよ。あ、お金の貸し借りはなしね(笑)。
彼女らに、刻の涙を流させることは許されない。
守ることができるか!?
その上で、彼女たちも我々も、すなわち君と僕は、生きのびることができるか!?