悲しくてやりきれない
(俺)<かな〜しく〜て〜かぁなぁしくてぇ〜♪
(俺)<とて〜もやぁ〜りぃ〜きれぇ〜なぁ〜い♪
(俺)<このやる〜せなぁ〜い〜モ〜ヤぁ〜モヤをぉ♪
(俺)<だれぇぇ〜かにぃ〜告げようか〜♪
結局3年くらい前と同じ歌を聴いております。まったく我ながら年寄りの進歩のなさというのはどうにもしょうがない。若者の皆さんはあきらめてくださいね。
いくら語っても消えないモヤモヤがある。前を向こうとしても何かが引っかかって後ろを向いてしまう。
それが何なのかわからず悶々としていたのですが、なんとなくつかめました。
要するに、「負けた」んですよ。
本気か冗談かわからないけれど、とにかく「そのまま帰ってくるな」という言葉を発する者たちの悪意に。だってそうでしょう、その通りになったのだから。その上、僕らの気持ちの落としどころはまたしても創出されなかったのだから。
(僕にとっての)「悪」が完全勝利するという結果に打ちのめされております。
僕だけの負けで済めば「よし、次の勝負いこうか」と切り替えられるのですが、打ちのめされているというのは、僕の脳内において、これは「℃-uteの負け」であると思えてしかたないのです。事の真相とかそういう話じゃなく、結果的にどちらの「空気」が優ったことになってしまうのか、という意味合いでね。
「善き心」の集まりである℃-uteが「悪意」に負けた、少なくとも勝つことができなかったという事実は重い。ただメンバーが一人減っただけの話じゃなく、℃-uteの根源に関わることなのです。
いやそれだけじゃない。僕がアイドル・ポップスとか歌謡曲とかそういういわゆる「流行音楽」を聴く理由までもが揺らいでいる。僕は人の善き心に触れるために音楽を聴くのですよ。誰かと争ったり、誰かを貶めたりするためじゃない。
世界には間違いなく悪意がある。そんなことはわかっていました。僕自身がかつては悪意を撒き散らす側にいましたから。
でも℃-uteならそれを易々と越えていける。そう思っていました。でも絡め取られてしまった。甘くないなぁ。
フツーじゃない何かがある、という意味合いにおいてそもそも「フツーじゃない」からステージに立てるのに、普通の女の子に「戻る」たあどういうこったい。やっぱりあの文章考えた奴は見下げ果てたる大バカだよな。自分とこのタレントを最後の最後に全否定かよ。見上げた話だね。
(俺)<かな〜しく〜て〜かぁなぁしくてぇ〜♪
(俺)<とて〜もやぁ〜りぃ〜きれぇ〜なぁ〜い♪
(俺)<このかぎ〜りなぁ〜い〜む〜なぁ〜しさのぉ♪
(俺)<すくぅぅ〜いはぁ〜ないだろうか〜♪
もちろん僕は℃-uteが好きで、矢島舞美が大好きで、これからも応援していくことに変わりはない。
でも「それとこれとは違う話」と僕の中でささやくものがある。
よろセン騒動のときにも浮かんできて、結局うやむやに済ませてしまった「応援って何?」という疑問がまた蘇ってきてもいて、正直な表現をすると、
「℃-uteは好きだ。でもそれが何なの? 俺たちの『好き』はたった一人の女のコの夢すら繋げられないじゃないか」
という気持ちがどうにも拭えない。
いかんなぁ、俺も悪意に侵されてる。これでもだいぶ℃-uteに浄化してもらったつもりだったんだけどね。
ちょっと時間がかかるかな。ハロコンのチケがあるわけでもなし、一番早くて暑中イベ、そこ外したら東京厚生だから時間はあるけれど。
逆にいきなり明日にでも現場があれば、「また今回もうやむや」になるとしてもたぶん迷うことはなくなるのよね。
(俺)<かな〜しく〜て〜かぁなぁしくてぇ〜♪
(俺)<とて〜もやぁ〜りぃ〜きれぇ〜なぁ〜い♪
(俺)<このもえ〜たぎぃ〜る〜く〜るぅ〜しさはぁ♪
(俺)<あしぃぃ〜たもぉ〜つづくのか〜♪
家で一人でヒマになってるとろくなことを考えないという見本のような話ですが、どこか出かけてパーッとやろうぜって状態でもないしなぁ、「先立つもの」的な部分で。
とりあえずアイビスSD頑張ろう。一昨年のサンアディユ−ナカヤマパラダイスを仕留めたゲンのいいレースだし。
『悲しくてやりきれない』という歌は、歌だけとればただ悲嘆にくれる歌だけど、フォークルの歴史における存在を考えていくと、『イムジン河』が諸事情で発売中止という、自分たちにはどうにもできない事態によって立ち込めた暗雲を「テープを逆回転させたものをもとに作曲」というアイディア(実際に逆回転させたのではなく、その発想でメロ譜の音符を逆から拾っていったらしいですが)で吹き飛ばし、逆境を文字通りひっくり返した歌なんだよね。つまりこれは現実に対して具体的に抵抗してみせた歌、真のプロテスト・ソングなんだよね。
もうちょっと聴いてから寝るか。