老いも若きも

「究極的には他人に興味がない」という冷血漢なので、早くもだいぶ落ち着いてきました。なので昨日書こうと思ってたことを忘れないうちに。
大したことじゃないから隠しますので、じゃあ読まないよ、という賢明な訪問者諸氏におかれましては、せめてこれだけ見ていっていただければ。


どうしてもカバーというのは原曲と比較される宿命から逃れられないと思うのです。今回も例外ではなかったわけですが、原曲に忠実なアレンジと℃-uteのかわいらしさを前面に押し出したことが功を奏し、原曲を知る世代からの不満や抵抗は思いのほか少なかったように思います。
ただそれならそれで、「原曲とそれを知る世代は押さえた。じゃあ原曲を知らない世代はどうか、いい換えれば2009年夏のニッポンに流れる歌としてはどうなのだろう」という疑問が浮かぶわけです。ひねくれてるなー俺(苦笑)。先日のコメント欄に書いた、

「原曲」と勝負しちゃった分「世間」と勝負する度合いが低くなっちゃったかなぁ・・・みたいな。

とはそういうことで、原曲を知るおっさん世代を意識するのはいいんですが、若い世代にはどうなんだろうと。
知り合い関連に限った話では概ね好感をもって受け止められているようで、ひと安心。


同じ歌でも、世代によってアプローチが異なるというのは面白い。ふとそう思いました。
この面白さはカバーじゃないと味わえないものでしょう。オリジナルの場合は世代に関わらずスタートラインが同じだから。
ならばカバーをやる意味というのはある。間違いなくある。
ネガティブに解釈されると困るんですが、とても幅広い年代が知っている『ジンギスカン』だと「共通の話題」になってしまうからこうはいかない(親しまれている曲なので、有線リクエストが増える等また別の側面からの価値はあります)。ファンが知る世代・知らない世代に分かれることが可能なピンク・レディーキャンディーズだからこういう楽しみ方ができるわけです。


こういうのは一発ネタじゃもったいないと思うわけですよ。ただ恒常的にというか、1年ないし2年に一度くらいのペースでやったとしたらそれはそれで飽きそうな気もするし、難しいところです。でも忘れた頃に「燃料投下」みたいな形でやってもらえると盛り上がるかもしれない。キモはネタの選択と演出ですよ。今回は奇跡的にうまくいったと思います。