世路線
検索回避(笑)。どこまでも姑息だなぁ俺って。
もう触れたくないし触れられたくもない、というのが総意だと思いますが、この件で僕らが何をし何をしなかったのか、何をすべきだったのかを考えておく必要はあると思うんですよ。でないといつ取り返しのつかないことをやらかすかわからない。
そういうことも考えて昨日からネタとして使ってるわけですが、きっと不愉快な人もいるでしょうね。申し訳ないです。矢島センセイの前に一区切りつけたいのよ。
大したことは述べられないので隠します。携帯の人はブラウザを終了するなり「戻る」動作を割り当てられたキーを押すなりしていただければ不愉快なものを目にすることはないので、よろしくお願いしますです。
「すでに沈静化」なんてムードだけど、僕はそんな風に思えない。たぶん30日の大舞台を無事に務め上げ、年明けの中野のレポに「その手の『お知らせ』はなかったよ」という文言を見るまで、スポーツ紙の芸能面や週刊誌の広告、公式、Yahoo!のTOPをビクビクしながら見る日々が続くんだと思う。悲惨な年末年始だなぁ。でもマジでまだ怖いんです。不安が拭えないんですよ。
昨日のハロショでも「あの回だけ録画してないんだけど持ってない?」なんて話をしてるヲタがいたし、興味本位での拡大はまだ収まってないんですよ。
もう番組そのものの話とか責任問題とかそういうのは心底どうでもいい。というか、僕ははじめからそこはどうでもよかったんです。それについては対処すべき人が存在するわけだから、その人たちに間違いない仕事をしてもらえばそれで済むわけで。もろPなんかはそこさえも間違えちゃったわけだけど。
それよりも、ヲタヲタである僕としてはこの件でのファンサイドの行動に「そりゃあねぇだろうよ」と思うものがあったわけです。あくまでも僕の尺度で測ったものだし、率先して引っかき回してグチャグチャにした僕が一番「そりゃあねぇだろうよ」なのはわかってる。だからほとんどが自分自身に対しての怒りなのです。その割には反省してないように思われるでしょうけど・・・事実かもなぁ。
この経験は生かさなければいけないと思う。もう「なかったこと」にはできないのだから。
取り返しのつかないことをしでかす前に、ルールとはいわないまでもガイドラインみたいなものをみんなそれぞれに持って、
「俺が決めたのだから俺が破るのはかまわない」
じゃなく、
「俺が決めたことだから俺が守らなければ意味がない」
という意味での「俺ルール」として発展させ機能させることができたら、タブーじゃなくターニングポイントとして消化できるんじゃないか。そんな風に思った次第。
・・・とまぁここまでが僕の伝えたいことの核だから、ここまで読んでいただいた皆さんには心から感謝します。以下はどうでもいい私見。読んでくれなどという傲慢なことは申しません。
結果として「祭り」に加担した
この罪は逃れようがない。「ネガティブな話題は大手掲示板の中に留めて、そこから拡散させるべきものではない。それで幸せな解決が訪れた例はないのだから」と考えて、これまでも色々な話題をスルーしてきたというのに。
今まではなんとかできていたことができなかった。
それほど重大なことだった、という言い訳はできるけど、感情に流されて騒動を拡大する役割をすすんで担った事実は今さら覆らない。
これは自分の「汚点」として忘れずにいよう。
己の信条に反したら、僕(たち)は℃-uteでさえも放り出す
これを認識した時は久しぶりに死にたくなりました。要するに祭りに加担することで僕(たち)は自己保身に汲々としてたのだ。
「番組に出演したコのファンだけど、僕個人はそういう考えを持ってませんよ」
「僕は正しい歴史認識を持っていますよ」
そんなことを語ることに懸命になっていた。自分の正しさを証明するために歴史を語り、文献を紐解き、リンクを貼り、色々な方面から「あなたは間違ってませんよ」というお墨付きをもらい・・・必死で後ろ盾を求めた。「あの番組に出てたコのファンだから」という偏見から逃れるために。
それは果たして正しかったのだろうか。
僕(たち)が語らなければいけないことは、他にあったのではないか。
僕らが偏見から逃れようとしている間に、事実と必ずしも一致しない報道もなされ、それで事態を認識した人のなかには、℃-uteに対する偏見が植え付けられてしまった。
誤った歴史認識で作られた番組には抗議をしたのに、誤った事実関係の把握による報道にはなぜ誰も何もいわなかったのだろう。いや、たぶん僕が知らないだけでそれはなされたのだろう。けれど、その声はあまりにも小さかった。
偏見を持たれる危険があるのなら全力でそれを防ぐ。持たれてしまったのならなんとかしてそれを払拭する。
それこそが僕らのすべきこと、しなければならなかったことではなかっただろうか。
「℃-uteを守る」というのは、そういうことではないだろうか。
自分の好きなメンバーの話でもいい、曲の話、載った雑誌の話、見たイベントやコンサートの話・・・なんでもいい。
とにかく、僕らがいつも見ている姿、感じるもの、それらをインターネットで世界中に発信することこそが、僕らの求める決着点にたどり着く道ではなかっただろうか。
もちろん、まっすぐにそれを行った人はたくさんいる。でも僕はそれをしなかった。
一週間かけても出典が確認できなかったのだけど、確か舞美がどこかのインタビューか何かで「今こうしている間にも世界のどこかで戦争をやっていることが悲しい」みたいなことを言っていた記憶がある。
こういうコがリーダーをやっていてメンバーから厚い信頼を寄せられているのが℃-uteである。そんなまっすぐで優しい心の持ち主たちがステージからあたたかな時間と空間を提供し、観客をまとめて幸せにしちゃうのが℃-uteである。
インターネットで僕らがすべき話はそれ以外ありえなかったはずなのだ。
それなのに、僕はそれをしなかった。
僕は℃-uteを守らずに自分を守ったのだ。自分が一番かわいかったのだ。
そんな自分を、僕は許せない。
℃-uteを守ったのは誰か
僕らじゃないよな、うん。放送局と制作会社はコメントを発表したけれど、現在に至るまで事務所からは正式なコメントが出されていない。それを批判するのはたやすい。
ただ、僕はこういうことではないのかと思う。
「事務所がコメントを出してしまえばタレントに累が及ぶ。それを避けるためには制作会社と放送局の責任ということで事態を収拾するよりほかはない」
どこからの要請かは別として、そういうことで三者が納得したのだと思う。まぁこういう場合出演者にまで影響を及ぼさないようにするのが通例みたいだけど。
とにかく、頭を下げるべき大人たちが、形だけのものかもしれないれどとにかく頭を下げた。
それで事態は(水面下ではどうだかわからないけれど)一応の収束をみて、℃-uteと℃-uteの歌う場所は守られた。これからも守られることを切に願う。
ありがとう。俺とは比べものにならないくらいあなたたちは立派だ。俺がもしお金持ちになったらテレ東の株いっぱい買うよ。これからは『ガイアの夜明け』とか『カンブリア宮殿』もたまに見ることにするよ。
これから
今後も「祭り」は起きるでしょう。その時僕らはどうすればいいのでしょう。原則的にスルーでいきたいものですが、スルーできないことがあったとしたら。
僕個人としては、あえて表面的な「正しさ」に与しない方向に身を置くことを考えていこうかな、と思っています。
ここまでやらかしたのですから、僕はもう「正しい」ところにはいられない。
それに。
何が正しいのかわからない、という状況では、「とりあえずこいつのいうことは間違ってる」と判断できるようなことを堂々と発言しちゃうバカが一人いれば、そこには「基準」が生まれるじゃないですか。「オーガのいうことは間違ってる。あるいは今やるべきことではない。ではどうする?」という流れができてくれれば、それでいいや。
これはこれで難しいかな、って気もしますけど。
正しくあろうとして間違えるなら、むしろ間違えることでひょっとしたら正解にたどり着けるんじゃないか。そんな風に思った次第。
え、もうここから間違ってる?(核爆)
さすがにもうこれ以上この話題での更新をする気はないし、する必要に迫られないことを祈ります。